11月13日 朝

歯医者の治療終了。ちゃんと通って、ちゃんと終わったのはひさしぶり。というか、こんなに引っ張らない歯医者さんがひさしぶり。なんやかんやと理由をつけ、治療期間を引き延ばし続ける歯医者のなんと多いことよ。今後はここで定期検診をすることにしよう。今度は三か月後。そのころになると、何が待ち受けているか。wbcがそろそろはじまる。ヤフーニュースを見ると、大谷、由伸wbc参加にド軍、消極的という見出し。コメントでも出場しないほうがいいが圧倒的。前回大会では弱小エンゼルス所属だった大谷&エヌピービーの山本。ともに今ではワールドシリーズ三連覇を見据えた常勝軍団ドジャースの一員。体調面を苦慮する声が大半だが、カーショーのように保険の問題もクリアしなければならないし、なかには「次回は地上波での放映がなく、前回より関心が薄まるから無理して出場するべきでない」というものもあった。出場に消極的というより、出場は困難と受け取るべきかも。さらに、見方を変えれば、mlb戦士たちの挙っての欠場はネットフリックスに対する強烈な意趣返しともなり得る。エヌピービー戦士vs各国代表でどこまで行けるか。これもまたみどころとなるかもしれない。wbcを取り巻くごたごたは開幕直前まで続くかもなあ。ごたごた、といえば、高市総理のごたごたは当面、続くみたいな言い回しをする午後のワイドショーがあった。内容を紐解くと、シナの総領事の発言、深夜の勉強会に言及したもので、ごたごたがまるで高市総理に原因があるような言い回し、高市総理が引き起こした騒動みたいに決めつけた言い回しが不快だった。ごたごたに発展させた要因はシナのおっさんの極めて不適切な発言と揚げ足とりに懸命なマスゴミ報道にある。ごたごたの意を検索する。雑然として秩序のないさま。本来、秩序を乱す側を責めるべきであり、患者にも選手にも総理にも非はないのは明白なのでした。

11月12日 朝

庭先で飼っていた犬がまた襲われたというニュース。舞台は秋田。犬が吠えているので、窓から覗くとクマが犬に覆いかぶさっていた。飼い主の言い分。「自分たちは何も持っていないから、爆竹を鳴らすしかないと思っているうちに、引っ張られて何もわからなくなった」ヤフーニュースのコメント欄で飼い主を擁護する声はない。ここまでくると、台風の日に田んぼや船を見に行ったりする自縄自縛と何ら変わらない。被害犬は愛してやまない柴犬。昨夜もシバのおきてを観たばかりなので福助の姿を想像してしまいつらい。自分たちは何も持っていないから?飛びかからんかい。爆竹を取りに行ってる場合か。鎖につながれ、逃げることすらできなかった犬が不憫でしかたない。兆候はあった。近隣で稲を食べる子熊が目撃されていた。住宅の裏手にクマの気配を感じていた。このような状況、情報、地域性で、なぜ、犬を外で飼っていたのか。飼い主の年齢がかかれていないが、きっと、高齢者に違いないという勝手な偏見で、今回の事例を拡大解釈する。過ごしてきた時代は違えど、ジジイも若いころは変化に対応できていた。なぜなら、すべてが未知との遭遇だったからだ。就職、結婚、転職、手探りの毎日。時代に翻弄されつつ、変化の波をくぐりぬけてきたはずが、ある時期から変化を変化と捉えづらくなる。そう、軽度の認知症のはじまりだ。古い常識が通用すると思い込み、台風に立ち向かう。家を守ると伝え残し、浸水に対峙する。機に挑み変に応じるのではなく、頑固なまでの杓子定規。昔は大丈夫だった。今度も大丈夫に違いない。キャッシュレスが浸透しても現金は使える。免許返納なんのその。自治体の口車に乗ってたまるか。乗れるうちは愛車に乗り続けるぜ。なんか目がしょぼしょぼするなあ。疲れてるのかなあ。セルフとか機械化とか知ったことか。困ったときは店員を探せ。高齢者こそ変化に対応すべきと思う。その方が楽だから。飼い主が20代だったら。それはそれで問題か。

11月11日 朝

朝サイゼが一部、店舗ではじまって、さらにこの11月から拡大販売をする。テレビをつけると、ちょうどそのニュースをやっていて、すぐにチャンネルを変えてしまい、詳細はのちほど。それで、いま、調べていると、なんのこたあない、関東圏の話だった。東京以外に千葉、埼玉の二店舗が新たに加わった。時間は7時から10時。どんなメニューかというと、既存メニューのモーニング化という感じだが、微妙にテイストが異なる。焼きシナモンフォッカチオ、パンチェッタとチーズのパニーニ。単品よりもドリンクバー&ポテト付きのセットで注文するほうが圧倒的にお得な価格帯に設定されている。フォッカチオのセットならドリンクバー&ポテト付きで税込み300円。あり、やな。午後ワインをするとき、ドリンクバーだけで粘る中高生がうっとうしいのだが、朝食だと回転が早まる気はする。サイゼリヤ、モーニングで検索結果をスクロールしていくと、なんば、梅田店で実施しているという情報があった。大阪でもしてるやん。コロナ禍以降、24時間営業を見直す外食チェーン店も増え、深夜に力を入れていた店が、朝にシフトする傾向が見受けられるが、サイゼモーニングは遅すぎたきらいもある。もっと早くてもよかったのになあ。最近、近隣のスーパーにしても、イオンにしても、閉まるのが1時間から2時間は早くなった。繁華街へ出かけることがないので、昨今のトレンドを知らないが、夜中じゅう出歩く時代は終焉に近づいているのではないか。世の中が高齢化しているということもあるが、貧しくなったのも一因だと感じる。世の中は30000円のワインではなく、300円のモーニングを求めているのだ。格差が広がったとみるべきか。日本全体の過渡期なのか。夜の7時ではなく、朝の7時からワインを飲みたい。

11月10日 朝

ひさびさにがっつり飲んだね。いやあ、よく飲んだ。食べた。ぐっすり眠った。じゃっかん吐き気はあるが、すぐに治まるだろう。黒糖焼酎ロック、日本酒ワンカップ、芋焼酎ロック、梅酒ロック、黒糖焼酎お湯割りを生ビール10杯、飲んだあとに飲んだ。飲み放題では飲み足りないというわけで、その後、白ワインも飲んだ。どうやって帰ってきたのかよく覚えていないが、玄関に折り畳み傘が干されているので、おそらく雨が降っていたのだろう。まったく記憶にないが。記憶にございません。酔っぱらいは酒が原因だが、記憶にないで押し通そうとするやからの要因を探ると、おそらく本当に記憶をなくしているのは0.1パーセントぐらいで、ほんまは覚えてるくせに、ほんまにずるいやっちゃで、というのが大半だと思う。記憶にございませんを流行らせたのは時の総理、竹下登氏だったとおもうが、その後、政治家たちがバカの一つ覚えのようにこの言葉で難局を切り抜けようとした。塩じいのニックネームで大衆から絶大な人気を得た塩川まさじゅうろうさん。国会でののらりくらりをなじみの定食屋でいじられたエピソードもなつかしい。いつまで経っても注文の品がこない。店主に尋ねると、記憶にございませんと返ってきたという。ここまでくると、笑い話に持っていけるが、記憶にないを繰り返す馬鹿を見ると、腹が煮えくり返るのが庶民のおおかたの反応。果たしてあのバカはどんな発言を繰り返すのか。あのバカというのはあのバカのことで、昨日、顔写真がテレビ画面いっぱいに広がったとき、あ、逮捕されたな、と思った。以前、耳を切られた写真がトップ画面を飾ったことがあるが、あ、逮捕されたなと直感した。もしかすると、被害者としての顔写真の可能性もあったが、あ、逮捕されたなと推知した。酒に酔っていて覚えていません。酒飲みの実感だが、どうでもいいことは忘れるが、一大事は忘れないと思う。記憶にございませんで乗り切れたのは昔の話。あのバカの続報を注視する。

11月9日 朝

もう日曜日。今週は早かった。毎週、早いのだけれど、特に早く感じる。玄関のセサミがぶっ壊れたので午前中は修理。というか、午前中で修理がノルマ。毎日、毎日、なにかイレギュラーなことが起こり、その対応に当たる。カネで解決できれば楽なのだろうが、楽に舵を切ると、人間として堕落する。腹の出た人間になりたくないし、痴ほうもごめんだ。自分で動くしかない。自分が躍動するしかない。カネもない。ない、ない、ない。なんにもない。セサミのシールも在庫切れ。なんでこんなに買うものが多いのだろう。昨日、どっかから届いたトリートメントヘアウォーターの箱もそのまんま。開封すらひと手間と感じるようでは時間の達人とはいえない。親愛なるジャーナリスト千葉敦子氏は著書ニューヨークの24時間のなかで「人間が生きていくためには、実にいろいろなものを買わなければならないものですね」とつづり、自身の買い物の仕方を解説している。カタログ販売をフルに活用。これがキーワード。いまの時代に生きていれば、きっと、ネットショッピングをフル活用しているはずだが、40年前に刊行された本が現代の暮らしを示唆している。サブスクを思わせる記述もあるし、ハードが古いだけで、やっていることは現代と変わらない。時間をカネで買うという発想も少しはあるのだが、カネと時間を基本的に天秤にかけていない。自分でできることは自分で解決する。40年ぐらいでは人間の資質は変わらないのかもな。変わったのはニューヨークの市長。40年前といえば、ちょうど、ブロークンウィンドウ理論が出始めたかどうかのころだと思う。舞台はニューヨーク。トムクルーズのカクテルが大ヒットし、猫も杓子も麻薬天国みたいな時代。20年前は同時多発テロ。時代は流れた。ニューヨーク市長がイスラム系など、当時、誰が信じただろうか。日本もうかうかしていられない。東京都知事が外国人などあってはならない。買うものが多すぎる。結句、無駄なものが多すぎるのかもしれない。

11月8日 朝

立春は言葉だけだが、立冬だけは急な寒さを実感するなあ、というようなセリフが酒ほそにあったが、それも今は昔。何巻か忘れたが、刊行されたころといまでは気候が異なる。立冬を過ぎてもまだタンクトップ。夏のさなか、おとなしかった虫も活発化している気がする。二季という言葉が独り歩きしているが、正確を期すと、夏が4月から11月まで続き、ちょろっと秋がやってきて、年末から年明けにかけて冬到来といった感じ。冬が、あ、ちゅうまに終わり、三月の初めには春がやってくる。あくまでこれは個人的タンクトップ目安なのだけれど、季節に敏感な野生動物もここ数年、目安が変わってきている気がする。野生動物にも衣替えみたいな換毛期が訪れるが、基本的に冷房はなく、暖房もない。冷や冷やな場所とか、ぬくぬくの秘密基地はあるかもしれないが、いずれにせよ、人間の暮らす環境にはない。今年の冬眠はめっちゃ遅れて、年末まで警戒が必要、と警笛を鳴らすクマの専門家がいたが、年末まででいいのか、と不安になる。年が明けても、クマが出没しないという保証はどこにもない。逆に年末年始の山枯れする季節に巷はパーティの大騒ぎ。ごみは出る、ケーキは売れ残る、シャケが商店街にぶら下がる、普段、出回らない高級肉や船盛がスーパーを彩る。すっかり人間に慣れたアーバンベアにとって、年末年始は冬眠の季節ではなく、秋の延長。さらに人間の浮かれた気分に似た高揚感を覚える季節になるかもしれない。ひとでごった返す初詣の神社に熊出没。ここまでくると、出没ではなく、感覚としては野良犬レベルに人間側も熊同様に慣れてしまうかもしれない。善は急げというが、ひとの価値観によって、善のとらえ方が食い違うのもまたやっかいな問題で、自然保護団体が全力で抵抗運動を繰り広げるのだろうなあという庶民のいらだちもまた予想できる。コロナの次はクマ。クマの次はなんざんしょ。

11月7日 朝

2025年新語、流行語大賞のノミネート30語が発表された。正直、新語99パー、流行語1パーという割合。知っている言葉のほうが少なかった。働いて働いて働いてまいります女性首相などは選考委員の思想を反映していて相変わらずの思い。昨年もひどかったが、じゃあ、ひどくなかった年はあるかというと、ここ30年あまり、ほとんどないのではないか。誰も知らない聞いたこともない言い回しが大賞。なかには目を覆いたくなるような恣意的造語を無理やり流行らせようとして大衆の逆鱗に触れるという年もあった。流行語大賞の看板は下げたほうがいい。2025年新語大賞でよいのでは。とはいえ、その新語でさえ、ぴんとこないのが実情だ。ノミネート語の解説、選ばれた背景を付け加えるべきと思う。特にわかりづらいものを列挙する。エッホエッホ、おてつたび、ほいたらね、ラブブ、7月5日、卒業証書19.2秒、チョコミントよりもあなた、長袖をください、ぬい活、ビジュイイじゃん、平成女児、薬膳。列挙した言葉を一気にチャッピーに投げかける。チャッピーはなんと答えてくれるのだろう。ヤフーニュースでのみんなの意見。「世代間での流行語の違いについて、どう感じますか」まったく興味を持たないが圧勝。世代間といえば、z世代にもっとも伝わらない言葉が一丁目一番地だったという話題があったような気がする。z世代じゃなかったかもしれないし、一番ではなかったかもしれないが、言葉というものは生き物であると同時に蓄積でもあるので、あまり気にする必要はないのではないか。近年ではチョベリバが皮切りだったように思う。堰を切ったように世間にあふれ出したが、いっときはいっときに過ぎない。寅さんは時を超えて言葉を紡ぐのだ。そういえば、敬老の日に発表された国内最高齢の方はぎりぎり明治生まれだった。昭和の大女優、沢村貞子さんはことあるごとに明治女を自負していたが、調べてみると、明治41年生まれだった。ご存命であれば、国内最高齢のかたの三つ上ということになる。来年の敬老の日には明治生まれがいなくなるかもしれない。明治、大正、昭和、平成、令和の五世代が存在する2025年の日本。日本語も過渡期にあるのかもしれない。

11月6日 朝

おれの思想に合わねえから気に入らねえ。気に入らねえからやめさせる。こうした活動をキャンセルカルチャーと呼ぶらしい。政治家の場合、批判や不満、誹謗中傷は政治の表舞台にはつきもので、ノイジーマイノリティーによるネガキャンへの対抗姿勢が政治家の手腕として評価されることもある。偉大な政治家というのは常に非難の的にさらされるのが通常運転。この認識に立てば、天気晴朗なれども波高し。得意分野で能力を発揮し、自分の信条を貫けばいい。問題は民間の場合で、特にエンタメのような人気商売をなりわいとしている個人、グループ、組織がとるべき対応はいかなるべきか。宝塚歌劇団の事例ではそら組の公演で海ゆかばをソロ歌唱するシーンがキャンセルカルチャーの標的となった。海ゆかばはそらで歌えるほど君が代の次に大好きな国歌だが、これを気に食わないゴミ、クズが日本に何パーセントか存在する。その何パーセントの声を尊重し、歌唱をやめると公表した宝塚歌劇団に対し、今度は日本の多数派を占める健全な人々から声が上がった。戦争を連想させるならベルばらなどもってのほか。至極まともな意見だ。じゃあ、ベルばらもやめたら、と自分たちの表現活動、創作意欲、創造性を自らせばめてしまうような世論に発展した。安易に忖度すべきではないのだ。じゃあ、不買運動が起きたらどうするんだ。そんなものを気にかけているようでは芸術家として失格だ。永ちゃんがびびるか。結句、専門家も指摘するように一次批判に屈すると二次批判が巻き起こるという展開を想定しておくべきで、一次批判と二次批判を秤にかけるぐらいの作業は発表の前にやっておかなければならないということだろう。目安はある。名古屋の展示物への一次批判と二次批判では一次批判が圧倒的だったように、選挙結果と民意は比例する。エスエヌエスと民意は比例しない。

11月5日 朝

世の中に好きなものは数あれど、なんといっても好きなのはキャンペーン。何気なく見聞きしていたが、エーアイの概要によると、特定の目標を達成するために、一定期間にわたって集中的に実施されるマーケティング活動とある。客側からすると、目標達成などどうでもよく、注視すべきはただ一点。割引がいかに実施されるか。そう、キャンペーンという言葉の響きイコール割引と勝手に変換していた。軍事作戦が語源であるというが、そんなイメージは持っていなかった。硬派なイメージだったものが、時を経て、軟派へと転がり落ちていったさまは貴乃花に似ている。キャンペーンにいまや硬派なイメージは似つかわしくない。ソフトバンク優勝キャンペーンの見出しを見て、売り上げ目標達成をイメージする客がいるかというと、いないとおもう。関心はどれだけ安いか。安くなるか。安く買えるか。同様に飲食チェーン店のキャンペーンというと、たいていはキャンペーンの前にお得なという文字が付け加えられており、客側の購買欲求、来店意欲をくすぐる工夫が施されることが今では一般化している。限定、限界、先着、定期、今だけ、セットで、無料、半額、訳あり、奉仕、感謝、残り少ない、驚き、赤字覚悟、超特価、話題の、大満足、タイムセール、まとめてお得、ポイント10倍、全米が買ったとか、くすぐる匙加減は尽きない。なかでも最強なのは国が実施するキャンペーンであり、近年ではコロナ禍でのそれがすさまじかった。なにせ、予算が違う。飲食店応援ゴートゥーイートキャンペーン事業100億円が尽きるまでとか、全国旅行支援ゴートゥートラベルキャンペーン1000億円が尽きるまでとか、チェーン店のキャンペーンとは桁が違う。キャンペーンがすっきやねん。本日もキャンペーンの文字を探す作業からはじまる。

11月4日 朝

11月に入り、新しい日々がはじまった。もっとも顕著な変化といえば、ジムを変わったことだが、8か月前まで通っていたところなので、手探り感はない。食品の値上げ品目も少なく、チョコレートやお菓子が上がったところで影響もない。高市政権発足も支持率が80パーセントを超え、くやしがるアンチの声、山を越え、馬も肥え、実りの秋となり光栄。ドジャースが優勝してスポーツ観戦もしばし休憩。ストーブリーグがはじまる。なぜ、ストーブリーグと呼ぶか。ヤンキースが有望株を別荘に囲い込んでストーブのまえで交渉したから、と以前、何かで知ったが、山本の争奪戦に敗れたヤンキースに果たして岡本は入団するのか。関係者は一丸となって阻止してほしい。メッツ、レッドソックスの日本人選手に明るい展望はない。ヤンキースに行っても日本人選手が得することはないだろう。西地区、中地区へどうぞ。変わることを変化と呼ぶが、変化にも二種類あって、直球的変化とは別に変化球的変化がある。こちらを変わった変化と呼ぶとすれば、長野の高校がアイドル部を創部するという変化は変わった変化の一例だろう。アイドル部。なぜ、いままでなかったのだろうか。応援団も団ではなく部にすれば、違う価値が生まれるかもしれない。団員ではなく、部員。服装は自由だが、リュックを背負って、赤いバンダナを巻いて、めがね。足元は薄汚れた白のコンバース。チェックシャツならモアベター。試食部とかもいいな。部活動の一環を拡大解釈すれば、いろいろな試みが可能だったなあ。遠い目。変化、といえば、昨日、近畿地方で木枯らし1号が吹いた。西高東低の気圧配置で15メートル以上の北寄りの風。たぶん。相変わらずタンクトップでほっつき歩いていたので、うっそーんと思った。昨年より四日、早いということだが、そんなもんなんだあという実感。12月に入って吹くイメージを勝手に持っていた。木枯らし1号が吹いたということはそろそろ衣替えなのかなあ。うっそーん、といえば、松ちゃんも活動を再開した。1年10か月ぶりの復帰。ダウンタウンファンとしてはうれしいが、62歳から進む道は過去の道ではなく、新しい道であってほしいな。新しい地図とか新しいカギとか。新しいとつけば、新しいわけでもなく、古きよきが新しかったりもするし、一概にはいえないが、変化は生きる活力だと昨今は信じている。変化を恐れるなはクマを怖れるなと同義ということ。昔の家には戻れないが、近隣をうろつくことはできるといった作家がいた。昔に戻ることはできなくとも、昔に進むことはできるのだなあ。