7月30日 午前中

起きたら9時を回っていた。急いで朝食の準備を整えた。うなぎも食べた。最近、あまり食欲がなくて、なんだったらおいしくいただけるだろうと考慮したすえ、うなぎを購入したのだけれど、おいしいと感じるのは味噌汁だけ。たぶん、毎晩、呑みすぎているせいだからだとはおもうが、ミルクシスルのおかげか、体調は悪くない。これで毎日エブリデイジム通いを続けているので痩せていくばかりなのだけれど、酒を呑むと中性脂肪に変わる。ワイン、ビール、焼酎、ウイスキーの区別なく、酒はすべて中性脂肪に変わる。エンプティ―カロリー?関係ない。プリン体ゼロも中性脂肪に変わる。一日、焼酎を一本ぐらい呑んでいるのでその中性脂肪が半端なく、いつのまにか皮下脂肪に蓄えられて、おなか周りがさすがにまずいことになってきた。アブドミナルクランチとロータリートルソーだけでは保てない。アブローラーをふたたび習慣化するときがきたのかもしれない。もうきっと、認めたくはないが、やっぱり、というか、中年なのだろう。かといって少年に戻りたいかというとそうでもなく、あの息苦しい季節の青春の涙はもういらない。それで、ライフワークでもある作詞についてなのだけれど、昔の作品を改めて読み返すと、そこにあるのは主張ばかりで、小説にたとえるとこれは私小説に当たる。もちろん自らの主張がなくなるわけでもなく、生きているかぎり何かしらのアウトプットは続くのだが、これでは詩の世界が広がっていかないというのも長ずるにつれて痛感している。そもそも昔のような主義主張もない。人生あるがままなり、だ。打開策として、シーンのトップをひた走るようなアーティストの詩を研究してみたり、竹原ピストル氏のあの独特の逆説的詩の世界をのぞいてみたりすると、ひとつの法則がみえてきた。小説にたとえると、これはエンタメ小説だ。一見、私小説にみえるスタイルでもほとんどはエンタメであり、ミステリー、ジュブナイル、クライム、ロマンノワール、ピカレスク、コメディー、アクション、ロマンス等の独自世界を創造構築することで成り立っていることがわかる。小説、論文、ブログはパソコン。作詞はシャーペンでノートに書くスタイルが変わることはないだろうけれど、というか、変われないのだけれど、一回、作詞をパソコンで入力してみたらどうだろうか、ひとつのストーリーとして、などと可能性を模索してみよう。

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