6月12日 朝

日曜日の新潟知事選の結果だが、自公の推す花角氏の勝利で終わった。野党は手ごたえを感じたと大健闘の連呼だが、こういうのを負け犬の遠吠えという。立民、社民、共産、自由、国民の野党オールスター勢力が結集したにもかかわらず3万7千票あまりの差をつけられ敗北を喫した。これがすべてだ。今回の選挙は米山前知事の女性問題を受けての辞任に端を発する。米山氏といえば、社民、自由、共産にかつがれて初当選を果たしのは記憶に新しい。このときの争点の大部分は柏崎刈羽原発の再稼働で、新潟県民の選択はこれに偏った形で示された。結局、わずか1年半という歴代新潟県知事の最短在職期間を記録して辞職したが、はっきりいってろくな知事ではなかった。あからさまな主張は自宅の手帳で繰り広げられるべきであり、知事の仕事は県政を中心に進めるべきだった。ともあれ、重要なのは未来をみつめることだ。野党オールスターが推す候補が敗れ、与党系が返り咲いたことで未来はまた一歩一歩、時を刻んでいくのだろう。また、今般、出口調査で明らかになったのは年代別の投票動向だ。最近のトレンドというか、若年層は与党寄りで、年代が高くなればなるほど野党の票が伸びるといった構造。こうした構造が新潟知事選でもみられた。テレビ世代とネット世代。これで振り分けるのは簡単だが、当選挙では池田候補も積極的にネットを活用し、発信していた。しかし、いかんせん支持が広がっていかなかった理由のひとつは、その主張が活動家のそれで、一般市民との認識に埋めることのできない相当のズレがあったように感じる。活動家のそれとは、たとえば、池田氏の応援演説で駆け付けた佐高信氏などの発言は常軌を逸している。これで一般聴衆者の関心を惹けるとでも思っているのだろうか。反応するのはがちがちの思想主義者のみでこれでは票は広がっていかないだろうことは容易に見て取れる。このようなひとたちに対していつも思うのだけれど、今回も例にもれず、新潟知事選を利用したプロパガンダに過ぎなかった。これはこの前の名護市長選にもみられた兆候であり、もっと前の東京都知事選でも似たような論旨展開だった。政策を論じなければ民心はついてこない。いい加減、気づけ。されど、気づかないのだろう。「なぜ、支持が広がらなかったのか」と嘆いているようでは。

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