1月13日 朝

起きてテレビをつけるとムッシュかまやつ氏を偲ぶような番組がやっていた。昨年なくなったがまさに理想のなくなりかただったことを記憶している。かまやつ氏は昭和14年に東京で生まれた。ジャズミュージシャンのティーブかまやつ氏を父に持ち、その後の人生を運命付けられたように音楽にかこまれて育った。影響を受けたのはカントリー&ウエスタン。今の若者がロックに共鳴するようにのめりこんでいったと氏は話す。すべては形から。テンガロンハットにカントリーブーツ。誰もがジョンウェインを気取った。やがて時代がめまぐるしく進化を遂げる。それは音楽業界にとっても同様で、エルヴィスプレスリーが颯爽と現れ、ビートルズが世界中を席巻した。そのころ、訪れたニューヨークのイーストヴィレッジで衝撃的な音楽とルックスに出会う。それがのちの彼のイメージを決定付けるが、このときはまだここからはじまる大きなうねりに呑みこまれていくという実感も自覚もなかった。帰国後、スパイダースに正式加入し、数々の名曲を手がける。そして、グループサウンズの先駆けとなったスパイダースの影響を受けて次々に他のグループが誕生した。空前のグループサウンズブーム。バンドはビジネスになる。金になる。そう踏んだメジャーがブームを牽引する。アマチュアイズムを貫き通したかまやつ氏はそこに疑問を感じた。ビートルズやストーンズを感じさせたのは初期だけで、あとにはロック魂のない商業主義だけが残った。この時代をはっきり嫌いと明言する。ソロアーティストとなったかまやつ氏の活躍を紐解けば日本の古きよきロック&ポップスシーンのそのまま字引となる。音楽の初期衝動には純粋な情動しかない。それがかまやつ氏にとってはカントリースタイルだった。スタークラブのヒカゲ氏は持っていたビートルズのレコードをすべて売却し、長年連れ添った古女房(ベース)を愛人(ギター)と交換した。ラフィンのポンは夜中、学校の音楽室に忍び込んでギターを盗んだ。ギターを盗んだつもりがベースだった。だからベーシストになった。ラフィンを称してかつて森田義信はいった。チャーミーはちんぴら、マルはアウトロー、ナオキは道化、ポンはバカ。ピストルズのステージを見て衝撃を受けたジョーはワンオーワンナーズを解散し、クラッシュを結成する。クラッシュはピストルズと並び賞されるパンクの雄となった。自分に置き換えてみる。特定のバンドというわけにはいかないが、いずれにせよ、パンクロックがすべてだ。パンクを知って持っていたデニムジーンズを一本残らずクラッシュジーンズにした。スキンズを見て、ブリーチにもした。そのほとんどが廃棄処分になるとも知らずに。それまで聴いていたハードロックやロックンロールが急に色褪せ、急激に目の前が輝いた。早弾き、ライトハンド、ブルーススケール、アルペジオ。ブルーハーツにそんな小難しい理論はいらなかった。コードをじゃかじゃか鳴らすだけで曲が完成した。それから何百曲つくったかわからない。ノート一冊30曲として20冊以上はおそらくある。今も作詞作曲は続けている。そのほとんどはゴミだが、今聴いても、お、と思わせる曲がいくつかあって、今年はこれをリメイクして収録するのが目標。ベースラインをつくったり、ソロパートを練習したり、アレンジを繰り返し、1曲に対し、魂を吹き込み、何度も手を入れている。たまたま、かまやつ氏の番組をみて単純な事実を思い出した。単純だが真実だ。いちいちいわないけれど、たいていのオトナが忘れてしまっている気がする。別に忘れるのはかまわない。思い出せばいいだけだから。問題は忘れるのではなく、失くしてしまうことで、ランボーが実業家として詩を失くしてしまったようにこうした懸想はひとの心につけこみ日常の雑事に埋没させてしまう悪戯を得意の常としている。誰もが恋におち浮気を繰り返す。あるひとはいう。人生はそんなもんだ。あるひとは反論する。人生はそんなものではない。すったもんだの挙句、真実がちらつく。今夜の夜汽車でたどり着く。あてなどないけど、どうにかなるさ。

この記事へのコメント