12月29日 朝

いよいよ今年も残りわずかとなった。個人的にもやり終えた感がある。今年もがんばった。あとは来年。年の瀬も押し迫り、最後の最後になってあの南コリアとかいうちょっと信じがたい低俗国から低劣なニュースが届いた。深く触れる気はない。こちらまで穢れてしまいそうだからだ。あの国のことわざ「泣く子は餅をひとつ多くもらえる」を地でいっているとだけ記す。国交断絶と滅亡を祈るばかりだ。一切の関わりを持ちたくない。大阪ミナミで水商売をしていた人間にとって、在日コリアンの存在はまさに混在というべき身近なものだった。普通に働いているだけでさまざまな在日コリアンと出会うことになる。当時はかなりオープンにカミングアウトするひとがほとんどで、それは昼社会とは異なる夜の特性なのか、現在がどうかも知らないが、とにかく出自を隠そうとするひとは少なかった。ある大箱のマスターも在日だった。当時のミナミのスーパースターだ。「親が韓国人やから情に厚い」というのが酔っ払ったときの口癖だった。雑多なミナミの夜において突出してイケイケなのは在日コリアンというぐらい有名人のほとんどは在日だった。そのなかのひとりは日本人に対してある種の偏見を持っていた。それは接してみれば明らかで、自身、嫌がらせにも数多く遭遇した。そういった類のひとも多かったが、逆に心底、格好いいと思えるひとも何人かいた。先のマスターなどもそうで、店を辞めるとき、最後にかけられた言葉は今でも鮮明に覚えている。「お互い、かっこええ男でおろうな」あのときはジーンときた。おごり癖のあるひとが多かったイメージもある。それも一人や二人分ではなく、場の全員分を持つというようなおごり方だ。よくいえば豪儀だが、悪くいえば見栄っ張りな印象を記憶している。あれから時は流れた。あのころ、ほとんど知らなかったコリアン社会の暗黙のルールや独自の言い回し、儒教文化、国の体制、見聞きしたものもあれば、実際の体験もある。神戸のコリアンクラブにも一度、行った。来日まもないバンドマンのギターを借りてスタンドバイミーを歌ったのはいい思い出だ。ヨン様に似てるともいわれた。あれはほめ言葉だったのだろうか。もちろん、書物を通じた知識の蓄積もある。特にオソンファ氏やコウブンユウ氏の著作には感銘を受けた。多くを端的に知るには最適のテキストだと思う。年配者から聞いた今おもえばかなり的確な傾向、趣向なども学習に寄与した。似て非なるものという故事がある。一見、似ているようでまるで違う別物。知られざるパラレルワールドを紐解いた結果、この認識を得るに至った。英国にルーツを持つ米国などとは違い、これは東アジアの特性ともいえる。お互いの不幸はお互いを知ることからはじまる。ウィンウィンの関係を築きたいのであれば、お互い干渉しないこと。つまり、国交断絶ほど都合のいい結末はない。一切の関係を絶つこと。断言する。これが真の信頼関係につながるもっとも有効な方法だ。

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