3月20日 朝

春分の日。奈良に旅行の予定だったが、急遽、取りやめ。一日前になって途端にめんどうになった。キャンセル料がかからない前日の夜10時に決断。近場のスーパー銭湯に出かけて、夜は焼肉にでも行こう。こうやって平和なときを過ごせるのも健康のおかげ、治安の確保も重要、洗脳を解くことも肝要、というわけで、今日は地下鉄サリン事件から30年の節目の日でもある。30年前の今日、一報は朝のワイドショーだったと思う。詳細は割愛するが、阪神大震災のあった一月から四月ぐらいまで遊んで暮らしていた。遊んで暮らしていたが、勤めていた服屋さんから毎月、給料をいただいていた。いま、考えれば、いや、当初もそう思っていたはずだが、いい経営者だった。とりあえず、再建のめどが立つまで、店の片づけ、緊急の呼び出し以外は自宅待機という感じだったので、毎日、そこらじゅうをほっつき歩いていた。とはいえ、廃墟のような街で、店もほとんど営業しておらず、大阪で過ごすことも多かった。分断された西宮付近を歩いて乗り継ぎ、帰りは4時間ぐらいかかったこともある。体験したことはないが、戦後闇市や世紀末感のただよう雰囲気の色濃い春の幕開けに事件は起きたのだった。大震災がサリン事件の呼び水のような報道や考え方もあったと記憶している。あの大震災がなければ、オウムもあそこまで狂奔しなかったのではないか。されど、松本サリン事件は大震災のまえであり、翌年の大惨事は確定路線だったのかもしれない。地下鉄サリン事件の最初の一報はテロがあったとか、地下で爆発したとか、サリンとはまったく関係のない偽情報のオンパレードだった。地震から二か月。ぼこぼこの神戸で、毎日、酔っ払い、毎日、ふらつきながら、そのニュースが壮絶なオウム事件関連の総仕上げであることをのちに知るのだが、1995年前後の空気感といまではまったく異なることもおぼえておかなければならない。バブル崩壊後からインターネットが普及するこの期間は日本が狂っていた。いやな思いもいっぱいした。メディアも狂っていた。印象操作もしたい放題だった。販売員もくさっていた。店員もなめていた。ブームも偽物だった。ひどい十年のあいだに発生した印象的な事件。あれから、30年。もうそんなに馬鹿じゃないぞ。頭いいんだぞ。洗脳なんてされないぞ。今日も狭間を生きるのだった。