3月12日 朝

造幣局の桜の通り抜けの詳細が伝わってきた。毎年、この時期になると、というか、三月に入ると、造幣局のホームページをチェックするのが習わしになってきた。何日か前からずっと見ているが、昨日、今年のスケジュールが発表された。通り抜け期間は4月5日の土曜日から11日の金曜日まで。コロナ以降の例年通り、時間を区切った事前予約制。申込受付開始が3月17日の月曜午前9時から。宵桜と夜桜と残り桜の三部構成で予約したろ。というわけで、桜の季節を迎えると、胸が騒ぐ。ぜったいに見なければならない、必ず行かなければならない、確実に見届けなくてはならない、と、なぜか、使命感に萌える、否、燃える。あと、何度、桜を見ることができるのだろう。桜の持つ儚さに人生の短さを重ねてしまうのだ。昨日、ふわっちの配信者が路上で襲われるという事件が起きた。倒れた被害者を蹴っていたというから、相当な恨みつらみだろうと思っていたら、やはり、金銭トラブルだった。250万ぐらい貸していたが、返してもらえず、挙句、ブロックされて、直接、犯行に及んだと。似た事件が以前、あった。ガールズバーの経営者。覚えている人も多いだろうなあ。結婚をえさに1000万だまし取る。ブロック。ストーカーで被害届。逆上した加害者が待ち伏せ、という流れ。加害者を擁護する気はさらさらないが、単純な構造。人を騙せば、恨みを買う。金と命。大切なのはどちらか。まさか、命までは狙われないだろう、と思ったのだろうか。泣き寝入りしてくれれば儲けものと甘く見たのだろうか。今回の事件は双方が金銭トラブルで警察に相談しているらしく、根が深いのかもしれないが、金を受け取った側が警察に相談という不可解な心理も以前の事件と似ている。この手の事件が世間を騒がせるたび、紙幣価値は裏切らないんだよと言っていた飯島愛さんを思い出す。金と命。命の金。命と金。猪木と金田。まっすぐ生きようと改めて思う。