3月11日 朝
あの日から14年。今日は3月11日。朝から災害関連の番組ばかりで埋め尽くされるかもしれない。昨日は東京大空襲の特集もしていた。今年は地下鉄サリン事件から節目の30年ということで、そちらの特集もたまたまテレビで観た。救護に駆け付けた救急隊員の生々しい体験談は、ああ、そうか、こっちの視点が欠けていたと災害にはさまざまな視点があることを改めて知った。1月の阪神大震災、3月の東日本、それに元日の能登地震も追悼の行事に加わった。4月になると、熊本、6月、沖縄地上戦、7月に西日本豪雨、熱海土石流。そして、8月の原爆、終戦記念日と哀悼は続く。今後、10年。ここに南海トラフ、首都直下型が新たに名を連ねるかもしれない。かつての経済大国日本。災害大国のほうがぱっと思い浮かぶ日がくるかもしれない。3月11日。あの日、何をしていたのだろうか。たしか、午後2時46分。大阪でもぐらっと揺れた。テレビをつけていた気がする。速報をテレビで知った気もする。ネットかもしれない。阪神大震災のときはテレビで状況を知ることができなかった。ネットもなかった。のちのち、災害映像をテレビで観た。すぐ近所が映っていたり、倒れかけた三宮のビルが倒れたこともテレビで知った。あの下を毎日、歩いていたなあ、巻き込まれなくてよかった。すべて、のちの感想だ。視点を変えると、悲惨、落胆のひともいれば、人生の1ページに刻まれた思い出に過ぎないというひともいる。東日本大震災で確実に変わったことといえば、福島にいい印象がなくなったことだ。福島といえば、喜多方ラーメンを思い起こすことが多かったが、いまは福島イコール原発関連のイメージに置き換わった。なにが起きたんだ。なぜ、起きたんだ。考えるのも無意味。スタークラブの歌が胸に迫る。