3月8日 朝

チャーハンでごはんを食べた。パスタとお蕎麦も食べたね。世間では炭水化物抜きダイエットというものが横行していると聞くけれど、実際、どうなのだろう。食事のことをごはんと呼ぶぐらいコメに執着する国民が炭水化物の呪縛から逃れられるとは思えない。腸の長さも消化酵素も欧米人とは異なるというし、欧米型の肉食中心の食生活が日本人に適しているとはとうてい納得できない。ベジタリアン暮らしのほうがまだ理解ができる。痩せたいなら米をやめなさい、とか、肥満体は炊き立てご飯がつくる、とか、コメよりパスタ、パン、うどん、とか、コメがなければオートミールを食べなさい、とか、一部、理解はできるのだけれど、長年にわたり、コメを食べない生活というのは理解しづらい。チャーハンでごはんを食べるという行為は字面だけ見ると、異様に見えるが、コンビニのチャーハンは晩酌の締めにふさわしくなかった。もっというと、主食にもならなかった。結句、炊いていた玄米、ビタバレー、オートミール混合ごはんで締めたのだが、ひさしぶりに家でこんなに食べたな、と寝る前のまんぷくに辟易したかというと、そうでもなく、深い眠りに今朝の起床はことのほかすがすがしい。コメをまんぷくになるまで食べることについて罪悪感がないわけではない。自宅で白米を食べることは皆無であるし、締めごはんがない日のほうが多い。されど、米食を軽んじるような論調に出くわすと、やはり嫌悪の感情のほうが強く迸る。コメがなければ、パンを食べればいいじゃない、という言い回しは一見、ケーキよりましに聞こえるかもしれないが、よくよく考えると、稲穂の国の国民をこれほど馬鹿にした戯言は聞くに堪えない。稲穂の実る日本と日本書紀にも書かれているように米は日本の魂であり、文化であり、象徴であり、もっといえば、実るほどこうべを垂れる稲穂かなというぐらい日本人の性質そのものを指し示す日本人の根源でもあるのだ。米を食べなさい。高くて買えねえよ。政権を倒しなさい。肉の値段を上げると、ブラジルでは右派でも左派でも倒れると名著オーパに書かれていたが、日本人の主食を軽んじる政府に用はない。今日も米をがっつり食べよう。