3月1日 朝
今日から三月。めまぐるしい。目が回る。画面ふたつのデュアルモニターからひさしぶりに画面三つのマルチモニターにしたはいいが、今度はディスプレイの解像度や拡大縮小やらアイコンの大きさなどの調整が必要。洗濯機は壊れぎみであるし、大型家電は設置回収がおおごとであるし、ただ購入すればいいというわけでもないし、めんどうなことはとにかく後回しにしたい。と思っていたら、あ、というまに三月がやってきた。Amazonのスマイルセールもはじまった。ジムに出かける準備だけでも大変なのにいろいろ検索する時間もいる。三月はいきなり週末からはじまるのか。それだけで何か追い詰められているような気がしてしまう。追い詰められる、といえば、ゼレンスキー政権もそろそろ末期かもしれない。ロシアに身の程知らずのぶたとののしられたように会談の前提を思い違いしてしまったのだろう。米国との交渉は決裂。当初も今もウクライナは民主主義対共産主義の闘争を強調しているが、ゆるぎなかったこの協調も戦争から三年を経たいまでは少し主軸がずれてしまった感がある。もっといえば、支援の輪が気づいてしまった。この戦争は民主主義対ロシアではなく、ウクライナ対ロシアの戦争に過ぎないと。ウクライナが防衛するのは自由だが、なんでわしらが手を貸さにゃならんのよ、金を出さにゃいかんのよ。仁義なき戦いの代理戦争のようだったウクライナの思惑は徐々に色あせてきてしまった。ウクライナ戦争に端を発した物価高で日本の国民感情も変わりつつある。それどころか、当のウクライナ国民の心境も戦争勃発当時とはかなり異なってきた。90パーセント以上あった「なにがなんでも領土を守る」という強い意思表示も今では50パーセント程度という。領土よりも安寧を。こうなると、思い起こすのは北方領土、竹島、尖閣といった我が国の諸事情であり、対岸の火事に思いをはせるのだが、米国の同盟国でよかったと胸をなでおろすのもまた本音のところかもしれない。三年前の3月1日。2月24日の侵攻から一週間。こんな気持ちになるとは、当時、思いもしなかった。世の大事よりも家の些事に翻弄される毎日なのだった。