11月30日 朝
今年も残すところ一か月ですか。光陰矢の如し。もっと速く、もっとスピードを上げて、じゃないと人生が終わってしまう。リリーフランキーの名作、東京タワー、おかんとぼくとときどきおとんに似たようなことが書かれていたな。ジョンレノンが銃弾にたおれたのをテレビで観て、主人公は上京を早めたのだった。もっともっと時間を使いこなさないと、というわけでもないが、もともとせっかちなうえ、最近はそれに輪をかけたように毎日、あたふたと動き回っている。いそいそではない。きびきびでもない。しゃきしゃき、はきはき、ちゃきちゃきでもない。まさに、あたふたと時間と対峙し、時間に背中を押され、時間に突き動かされ、時間に翻弄されている。通っているスポーツジムを少し遠方に変えたせいもあるし、人生の残り時間が少なくなっていくのを指をくわえて待っているわけにはいかない、というのもあるが、本当の本当のところはやはりせっかちと儀式の増加に拍車がかかっただけのような気もする。儀式をほかの言葉に言い換えればルーティーンなのだが、どうもしっくりこない。儀式は儀式なのだ。せっかちと儀式の増加に拍車がかかったせいか、最近、立て続けにけがをした。些細なケガだが、お祓いに行ったほうがいいレベルの回数。最初は包丁で左親指の先を切った。皮がめくれてしまったので血がなかなか止まらなかった。皮が再生しない。いまも赤身部分が見えている。続いて、車のハッチバックのへりに頭をぶつけた。たんこぶができた。焼肉屋のトイレのドアで小指をはさんだ。赤黒く腫れた。車のスライドドアのへりに膝をぶつけた。赤黒く腫れている。最新は昨日のことで、ティー字カミソリが左手中指の爪に刺さった。嫌な予感がしたが、案の定、割れてしまい、紆余曲折を経て、爪切りで爪の一部を切り取った。赤身部分が見えている。今もキーボードを打つ中指が痛い。負傷がじゃまをして、早く行動できないことが何より苦痛だ。せっかちも改める時期がきたのかもしれないが、世の中の動きが速すぎて、これでもまだ足りないぐらいであり、もっと年齢を重ねると、もっともっとスピーディーに行動しなければ大嫌いな老化が寄り添うだけで、矛盾を味方につけるしかないのかもしれない。光陰矢の如し。止めるすべはない。