8月9日 朝

日本と欧米の違い。日本は恥の文化であるのに対し、欧米は罪の文化だと明言した名著、菊と刀だが、一端を垣間見たことが、一度ある。それほど大げさなことではないが「電車ではさまれたとき、日本人は恥ずかしい記憶としてインプットされる」というエピソードを聞いた外国人が「それは痛い記憶じゃないの?」と素朴に聞き返したのだ。クールジャパンだったと思う。なんかの番組だった。恥をなによりも忌み嫌った日本人ではあるかもしれないが、昨今の風潮は少し変わりつつある。相変わらずの同調圧力、右へ倣え、出る杭は打たれる文化は根強いものがあるけれど、目立ったもの勝ち、再生回数がすべて、人生を変えるために応募しましたという人種が欧米から見た奥ゆかしい日本を変えつつあるのだ。プラスに捉えることもマイナスに見えることも無論、あるのだろうが、本質はそこではなくて、むしろ、変わらない高みに挑み続ける日本人を対象に考察すべきであり、見渡す限りそういった日本人は下界にいない、あるいは少なくなった。皆、よくも悪くも変わっていくのだ。変わらない世界がどこにあるかというと、クライマーの世界にある。世の中で興味のあることは山を登ることだけ。そんなひとを追ったドキュメンタリー映画を以前、観た。主役はマーク、アンドレ、ルクレールという25歳の若者。フリーソロの登山スタイルで当時、すでに天才アルピニストと呼ばれていた。たったひとりで次々と高峰を制覇するマーク。小さいころから少し変わっていたと自他ともに認める、大人になっても実際、風変わりな印象のあるインタビューで彼のひととなりの一片をうかがい知ることができる。クライマーを追ったただのドキュメンタリーに過ぎないと思って観たら大間違い。最後は悲劇で幕を閉じる。平出さんと中島さんの滑落ニュースを知り、まっさきに思い出したのがそのラストシーンだった。登山家にあこがれるこの気持ちはきっとそこに最後のサンクチュアリが存在するからだと思う。オリンピックはもう飽きた。