8月5日 朝
フェンシング男子フルーレ団体が金メダル。決勝の相手はかつての栄光にすがる二流国フランス。勝因は八百長ができない機械判定が一部要因とこの機に留飲を下げる今なお世界で輝き続ける一流国ジャパンなのだった。今回のエセオリンピックにかぎらず、スポーツにおいて、バカ審判の誤審、誤謬、インチキ、ペテン、贔屓、歪曲、いやがらせ、過失、過怠、瑕疵、勘違い、筋違い、ちょんぼ、怠慢、ふしあな、愚盲判定を目の当たりにするときほど興ざめする瞬間はない。ただでさえ、オリンピック人気は下降気味にあり、経済効果にさほど結びつかないとまで揶揄されているというのに、ジャッジする現場がこれでは開いた口がふさがらない。これは野球にもいえる。大谷翔平に対する明らかなボール球をストライク判定する審判。審判って最低の職業だな、と毒づきながら、一刻も早く機械判定される日を待ち望む巷間の声が胸にせまるのだった。思えば、数々のミスジャッジを目撃してきた。自分に降りかかったミスジャッジもある。中学生のころの遙か遠い記憶。サイドラインを割っていないにもかかわらず、笛を吹かれたり。勤め人だったころの暫し遠い記憶。自分のせいではないのに責任を取らされたり。ミスジャッジというより、いやな出来事だが、つい最近の記憶。宅配ボックスに入れておくように指示したのに玄関前に置かれていたり。思い返してみると、なんて細かいんだ、なんと、ちっちゃな、ヒューマンエラーか、整理する意味で思い返すのも悪くないなと思うばかりだが、世紀の大誤審と聞いて、ぱっと思いつく三つを挙げる。ひとつめは柔道の篠原選手の一本。相手選手は確実に背中を地面に叩きつけられたにもかかわらず、いけしゃーしゃーと金メダルをかっさらっていった。あいつもフランス人じゃなかったか。フランス人はバカばかり。唐突にその昔、ブログでシャンゼリゼ大通りと日本の路地裏を比べていたバカなフランス人を思い出した。日本人とフランス人。クライテリアとディメンジョンの観点から考察すべきなのかもしれない。二つ目がwbcのタッチアップ、三つめが同じくwbcのメキシコのホームラン。興ざめというより、怒りで目の前が真っ暗になったのだった。