8月4日 朝

昨夜は淀川花火大会だった。景気が今よりましなころは平成淀川花火大会と二本立ての時期もあった記憶がある。さだかではないが、コロナのころは自粛していたはずで、無事、夜空に大輪の花が咲くと、それだけで健全な夏を実感するのだった。わざわざ現地まで見に行く気にはならないが、いつごろからか、ユーチューブライブで観る楽しさをおぼえた。テレビの中継と違い、花火会場と一体化するような臨場感がいい。同時にjコムでやっていた長岡花火大会も観た。すごい迫力。冷房の効いた部屋で酒を飲みながら花火鑑賞。我ながら穿った時をすごしたものだ。冷房をつけていたので、当然、ベランダの窓は閉まっていたが、どーん、どーんと花火の音が聞こえる。10キロ以上は離れているはずだが、すさまじいパワーだ。遠い国では轟音は恐怖に直結し、戦火の炎は街を焼き尽くすというのだから、いかに日本人がめぐまれているかということだろう。花火でよかった。今週の花火大会ウィークが終わると、街はお盆の季節を迎える。心なし、せみ時雨も弱まってきた。今年の夏のメインは来週の京都旅行かなという気もするが、ビアガーデンの予定もあるし、遊びはまだまだ尽きないという気もする。あと、何回、こういった夏を迎えることができるのだろうか。人生の季節でいうと、もしかして、夏はもうしぼんでしまったのかもしれないし、いまだ夏の盛りにいるようなギラギラな瞬間がときたま訪れないわけでもない。それでも人生は確実に進んでいる。ひとによっては、とっくに初秋も過ぎて、晩秋にさしかかっているという年齢かもしれない。うるせえ、ほっとけ、と強がってみても、先輩たちの背中はどんどん小さく縮んでいく。人生は夏の花火のようなものかもしれないな。ぱっと咲いて、ぱっと散る。散ったと思ったらまた咲いて。咲いた花もやがて散る。今日は甲子園の抽選会。一球に賭ける夏を見守ろうと思う。