8月2日 朝

これでイッパイ!小染の酒の肴のなかにこんな記述がある。「アテの量は少ないほうがええなあ。酒を飲む方がよういいはります。ワテも同感です。どんなに美味しい物でもドサッと盛られては酒が料理に負けるんだす。小鉢にチョコッと、それをハシ先でつまんで…これだす」酒飲みというやつはいじましいものでいつまでも酒を飲んでいたい。酔いつぶれるまで飲んでいたい。自分の世界に没頭して杯を重ね続けたい。そのために必要なことは決しておなかをいっぱいにしないことであり、酒を飲むときにあては欲しいが、量はいらないというひとを本当の酒飲みだと勝手に定義する。この定義に当てはめると、腹の立つ飲み方、というか、いやな飲み方をするひとが自ずから目につくようになる。三センチ四方のうなぎの蒲焼きを一口で頬張り、追いかけるようにビールを一口などは論外。三センチ四方のうなぎであれば、せいぜい、一度につまんで5ミリといったところだろう。これを舌先に載せて、存分に転がしながら、コップ酒を一気飲みする。胃の腑にぽっと明かりが灯り、ふわっと夢心地な一瞬が一輪の花を咲かせるようにゆっくりと広がっていく。のりの佃煮をハシ先でちょびっとつまむ。これも舌先に載せ、丹念に転がす。きゅうりのキュウちゃんならひとかじり。最低、二回か三回に分けて、かじりたいところだ。あるひとは瓜の塩漬けをあてに二升の酒を飲むときいたことがあるが、こうした酒飲みの心理を理解できない酒飲みというひともいて、酒飲みのくせに酒の飲み方も知らねえのかと突っ込みたくなるが、うるせえ、好きに飲ませろというのも酒飲みの心情であり、これは好みの分かれるところかもしれない。昔から飲み方がいやだなあと思っていたのは配信者のうなちゃんまん。このひとはひじょうに小柄な体格で、大酒のみというタイプではない。ちびちびと缶ビールやチューハイをいつまでもすすっていて、おなかが空くとメシがはじまる。そう、あてではなくメシなのだ。みょうがもきゅうりも焼肉もえびも寿司もみんな食べ方がメシ。メシがなくなると、またちびちびあてなし晩酌がはじまる。小染さんが生きていれば、一緒に飲んでみたかったなあ、しみじみ思うかというと、酔っぱらって軽トラと相撲を取るようなひとはまっぴらごめんですぜ、と今夜も一人酒に終始するのだろう。