6月30日 朝

エドウィンヒメネスという名前をしばらく忘れないだろう。というぐらい、昨日のドジャース戦はひどかった。エドウィンヒメネスが誰かというと、昨日の試合をさばいた球審の名前。大谷選手の敵は相手ピッチャーではなく、相手チームでもなく、相手ファンでもなく、審判の判定というばかばかしくて見るに値しない一戦だった。バカ審判のせいで、先頭打者ホームランはなくなり、連続打点も連勝も止まった。こんな球審がいるかぎり、メジャーリーグベースボールのトップリーグ返り咲きが果たされることはないだろう。審判によってめちゃめちゃに試合が壊される。真剣勝負が茶番道場と化す。はらわたが煮えくり返ってしょうがない。昨今、よく騒がれるロボット審判だが、オールスター後から導入すべきだ。とにかくスピードが求められる。メジャーリーグの人気は審判によって地に落ちる。昨日の試合でひとつだけ収穫があるとすれば、まさにロボット審判の議論がより加速化したということで、そこで、昨今、ひとつ思い起こす事象がある。佐々木ろうき選手の外いっぱいのフォーシームを白井球審がボール判定し、それに不服を示した佐々木に審判が詰め寄るという出来事があった。ルールブックに書かれているとか、そんなことはファンにとってどうでもよく、審判側のレクチャーなど誰も求めていないにもかかわらず、その後、ワイドナショーに出演した審判仲間が的外れな指摘をしたことも含め、審判てなにかねえ、とおもわずつぶやかずにはいられないいらだちを覚えたものだった。その審判仲間がいうには選手と審判は一心同体みたいな、野球にとって審判は欠かせないというような、細かいディテールは省くが審判を誇るような物言いに徹していた。大きな間違い。頓珍漢な回答。まったくの勘違い。審判など飾り物でいい。明日に続く。

6月29日 朝

大阪の夏祭りは愛染さんを皮切りにはじまる。今年は明日から2日まで。ということは祇園祭もカウントダウン。いよいよ夏本番となる。メジャーリーグも折り返して、今日からドジャースvsジャイアンツのスリーゲームシリーズ。現地時間では6月がまだ3日ある。昨年の15本を上回るか、大谷翔平のバットに期待。これが終わると、ディーバックス、ブリュワーズとドジャースタジアムでの開催が続き、ナ・リーグ頂上決戦ともいえる対フィリーズ戦がビジターで行われる。ここにきて昨日の夕方に激震が奔った。シュワバー、ハーパー、そろって故障。おそらくシュワバーはすぐに復帰するとおもわせるような発言だったが、問題はハーパーのほうで、トラウトやベッツを思い起こさせる不穏なコメント。経験したことのない感覚。この手のことをいってしまうと、たいてい長引くのが最近の潮流というか、オールスター票ももしかすると、ふいにしてしまうのかも。今年もメジャーは大谷一色というかんじだが、これに立ちはだかるのがアーロンジャッジであり、大谷が打てば、ジャッジが打つというわけで、折り返し地点で30本に達してしまった。昨日は4の0といいところはなく、それでもチームが勝てばキャプテンとして胸をなでおろすところかもしれないが、こちらはこちらで絶不調。50勝一番乗りから10試合ほどこなし、二勝を積み重ねただけ。ヤンキースが弱いと酒が進んでしかたない。いっぽうのドジャースはエンゼルス戦から数えて四連勝。白靴下をスイープし、舞台はサンフランシスコへ。当然、期待は大谷翔平のスプラッシュヒット。打球の方向が大谷選手のホームランコースとはじゃっかん異なるが、もしかすると、ファンサービスでおもいきり引っ張ってくれるかもしれない。試合開始は11時15分。ランチタイムが楽しみ。

6月28日 朝

今朝も雨。梅雨入りしたんだなと思わせる雨。夜は映画。雨の季節は映画だなと思わせる映画。なにを観たかというと、パブリックエネミーを観た。実在したシカゴギャングの生きざまを描いた作品。追う者と追われる者。アンチャッチャブルのようだが、実際にアルカポネの時代と丸かぶりで、アルカポネ並みに有名なギャング。主な収入源は銀行強盗。銀行を襲って金にする。古き良き時代なのだった。ヤフーニュースのトピックスにもあったが、自ら過小評価されていると訴える連中の大半は過大評価の間違いやろ、と突っ込みたくなるように、ただの銀行強盗がなぜここまで有名になったのか。それはエフビーアイがパブリックエネミーと名付けたから。一味の名前はデリンジャーギャング。ジョンデリンジャーを中心とした強盗集団。日本にもネズミ小僧のような逸話が残っているように、禁酒法の当時、銀行を襲っても銀行にいた客からは金を奪わないというやり口が一般市民の口から口へと広がり、英雄的にみなされる傾向があった。当時も今も変わらないお上をいぶかしがる庶民というのはどこにでもいる。こちらも古き良き時代なのだった。しかし、時代は流れるもので、時代に取り残されたらどうなるかというと、世間は時代遅れの烙印を押す。最初に烙印を押したのは新陳代謝を繰り返し、巨大化するシカゴマフィアだった。あいつら、あほちゃうか、と。いまどき、銀行強盗って。嘲笑の的にさらされ、次第にジョンデリンジャーの時代は終焉へと近づく。映画のラストシーンはまさにそのような描写だった。レッド、ベビーフェイスネルソン、かつての仲間はもういない。混み合う映画館の中。時代遅れの男たちの映画に没頭するデリンジャー。自分の終わりを悟った人間の表情。映画館を出ると、無数の男たちが待ち構えている。銃を取り出そうとするが、一歩、遅かった。ジョンデリンジャーの人生は終わったのだった。今夜は何を観ようか。