3月10日 朝

早いもので東日本大震災から13年。明日は朝から地震関連の番組があふれることだろうが、今年は能登地震の影響がリアルに進行中ということもあり、昨年よりも感慨深い一日になりそうだ。地震大国日本が国際的にすっかり定着してしまった感もあるが、子供のころ、そんなイメージはなかった。日本といえば、経済大国で、宗教間の紛争がなく、勤勉で、秩序に敏感で、朝から大声でしゃべらない穏やかな国という印象があった。翻って、近頃はどうだ。勤勉も秩序もかろうじて残ってはいるが、朝から大声で議論するのが当たり前となり、地震が頻発し、イスラム教やクルド人やベトナム人やコリアンやチャイニーズがいたるところに生息する国となってしまった。テレビは共生を謳い、不都合なものには目もくれず、愛と平和と共存を掲げ、子供たちは美人局に励み、大人たちは裏金をつくり、おばはんたちは不倫に勤しむ。ああ、情けなや、と嘆く日が増えるばかりだが、憂国のはざまで見る夢は今も色あせないのもまたいっぽうの事実で、この国の希望の灯がとだえたわけでも決してない。ハーバード大学のマークラムザイヤー教授の存在も心強いし、文春のいい加減さが際立ってきた最近の論調もおもしろい。日本に巣食う根本の悪種は実はフェミニズムから端を発しているのだと改めて気づかされる。安倍首相をたたくのが社是といってのけた朝日新聞社のようにマチズモを攻撃することが正義の一太刀と勘違いする勢力、ならびにその勢力を支持する連中がいかに胡散臭く、日本の成長をじゃまする存在かということがよくわかる。この構造は慣れるとよく見えるようになるのだが、ある程度の学習年数はやはり必要なのだろうな。昨今、チェルシーといえば、サッカーチームだが、チェルシーといえば、ママの味だった世代が遠い目で昔を懐かしむのだった。