3月9日 朝

ジャンプといえば、ドクタースランプあられちゃんとキャッツアイが楽しみだった、という世代にとって、シティハンターとドラゴンボールの連載開始は新たな時代のはじまりだった。幼少期はジャンプに夢中だった。毎週、発売日に200円弱をにぎりしめて、近所のタバコ屋の店頭にある雑誌売り場をチェックするのが日常のひとこまだった記憶がある。いまのようにコンビニがそこらじゅうにある時代ではなかった。あの頃、ジャンプではキン肉マンも連載していた。しばらくして北斗の拳、ついでにとんちんかんがはじまったはずだ。当時も巻末はこち亀だった気がする。しばらくすると、興味の対象はマガジン、サンデーと少しずつレベルアップしていくのだが、ジャンプはやはり子供たちに圧倒的に人気だった。もう少し購読年齢の下がるコロコロコミックを除くと、ジャンプ、マガジン、サンデーが三大漫画雑誌、それにチャンピオンとキングを合わせて五大漫画雑誌と呼ばれることが多かった。新聞と似たようなカテゴライズがあったのだ。その後、何十年も日本漫画史に名をとどろかせる人気漫画家が各誌にひしめきあっていた。高橋留美子、あだち充、北条司、ちばてつや、藤沢とおる、高橋陽一、ゆでたまご、立原あゆみ、吉田聡、等。なかでも鳥山明の知名度は少年たちの間で群を抜いていた。ドクタースランプの大ヒットは社会現象といってよかった。ペンギン村、おはこんばんちわ。少年のあこがれる自由な世界がそこにあった。ただ、ドクタースランプの栄枯盛衰によって鳥山明は凋落した漫画家といった認識に変わっていった。勢いは北斗の拳やキン肉マンのリアルストーリーに分があった。流れが一変したのはドラゴンボールの登場だった。ドクタースランプをはるかにしのぐヒットメイカーとなった鳥山明の名前は世界中に刻まれた。その後、セーラームーン、ポケモン、ワンピースなどが世界アニメ市場を席巻するが、ドラゴンボールは世界にメイドインジャパンを発信した最初の漫画だったかもしれない。ドラマ、サ道で主人公なかちゃんさんがどこかサ旅をするたび、冒頭で必ず「〇〇を生んだ街」と紹介するが、名古屋のときは「鳥山明を生んだ街」だった。ひさしぶりに名前を聞いた。それからしばらくして、また、名前を聞くときがくるとは。おっす、おら、極右も懐かしいネタだ。