2月17日 朝
わくわくが何より重要。どきどきもたまには必要。と言い聞かせて、この世知辛い世の中を渡ってきた。いやなことをいわれ、家賃稼ぎのため、したくもない仕事をした。労働と時間を金に換え、得たものといえば、その日暮らしの延長線上のような毎日。これではだめだと一念発起するも生活は続くし、支払いが途絶えることはない。夢を見ている暇があったら飯を食べる段取りをつけなければならない。時間ばかりが過ぎ去っていき、いつしか若さも失われていく。振り返ってみれば、かつて若者といわれた現代の大人たちはこういった連中が多かった気がする。なにをするにもいいわけ。いいわけを正論とはき違えて、気づいたときには青春もクライマックス。今はどうか。今も似たような雰囲気で時間をやり過ごしている若者も多いかもしれないが、決定的に違うのは情報量の差だ。情報が嘘やまやかしを跳ね返してしまう。情報をうまく活用できる人間にとって今ほど生きやすい時代はないのではないか。大谷翔平が世の中を変えたように価値観はめまぐるしく変化の波をくぐりぬける。才能を金に換えることと労働を金に換えることは似ているようでまるで違う。金が欲しくて手っ取り早く労働に従事するのは誤った考え方かもしれないし、労働の目的が金とは限らない。日々の充足感を得るために働く。これも立派な動機であるし、金が欲しくて手っ取り早く闇バイトに応募してみました、というのもたぐいまれなる発想の転嫁かもしれない。発想にはリスクがつきまとうこともある。リスクに気付いた高尚な若者が次に何を目指すかというと、それはもう投資しかない。金がほしい、イコール労働ではない。金が欲しければ投資に手を出すことだ。というわけで、昨日、バブル期につけた日経平均3万8915円に迫る株価を目の当たりにして、確実に時代が変わったことを実感した。いやなことはいや。それでいい。大切なのは健康と幸せ。わくわくを大事にしていれば、どきどきはいつだってプラスの効果をもたらすはずだ。唐突だが、広末が輝いたピークって、クレアラシルのころだなあ。