2月9日 朝
古いジムの退会手続きと新しいジムの入会手続きを無事、済ませた。三月から心機一転。いろいろなものが少しづつ変わっていく。川の流れがやがて大海につながるように小さな変化がいずれ大きな変革をもたらすのだろうか。思考が変われば、行動が変わる。行動が変われば環境が変わる。環境が変われば、習慣が変わる。習慣が変われば、人生が変わる。社会人大学生を卒業して、もう十年以上が経過した。春になると、あの情熱を思い出す。あの情熱はどこへ行ったのか。いまだ心の深奥に渦巻いている気もするし、とっくの昔に燃え尽きてしまったような充足感もある。つねにハングリーであれ、つねにフーリッシュであれといったのはスティーブジョブスだったが、これを自分なりに言い換えると、ハングリーとフリーということになる。歳を重ねるにつれ、ハングリーとフリーが減っているような気がしないでもないが、きっとこういうことなのだろうと思う。間違いなく色づいていたものが、いつしか色あせていく。だからこそ、自覚しなければならない。口に出して、言い続けなければならない。フリーであれ。ハングリーであれ。立春を過ぎると、聴きたくなる歌がある。季節によって、そういった歌が何曲かあるのだけれど、そのうちのひとつがドッグファイトの浪漫。ながれーるひとごーみのーなかー、ふとーたーちどまーればーきこーえるー、なつかしいーあーのーめろーでぃー、かーこーをよーびーおーこすー「名もなき川の水もいつか海を渡るだろう、ちっぽけな俺でも何かができる、生まれ変われるさ」少しづつ変わっていく。アイムゴーイングスルーチェンジス。俺は俺の変化を潜り抜ける。つねに前を向いて。つねに今を見つめて。世間に目を向ければ、今年も卒業と入学のシーズンを迎える。入社のひともいるでしょう。退社のひともいることでしょう。はたまた起業するひともいるかもしれない。気分一新、一念発起、決意を新たに過去にさよならを告げる。さよならのあとは、そう、こんにちわが待っているのだ。春がはじまる。人生は短いぞ。急げ、走れ、こけても立ち上がれば済むだけだ。のたうち回ってもいい。そのうち、起き上がれる。というか、起き上がることしか選択肢はない。一歩、踏み出せ。足踏みしてても靴は減るぞ。歩こう。どうせなら走ろう。走って、走って、走りまくろう。そのうちゴールが見つかる。そのゴールこそが小説アルケミストのように長い旅の出発点かもしれない。エリオットの言葉を載せておこう。「ひとは冒険をやめてはならない。長い冒険の果てに出発点へたどり着くのだから。そして、初めて居場所を知るのだ」