2月6日 朝
毎年のように一月は行く、二月は逃げる、三月は去ると時の流れの速さを嘆いている気がする。二月もまだ6日だが、暦が短いゆえ、すでに半ばに差し掛かったような気忙しさがある。節分が終わり、立春もすでに過ぎた。二十四節気では雪解けのはじまる雨水が19日ごろ。それから啓蟄を迎え、本格的な春の幕開けとなる。一月があまりに目まぐるしかったため、その勢いを引きずったまま、あ、ちゅうまに桜が開花する気がして、ものすごーく親近感というか、かつてこのような時期があったなあと思い返すと、それは阪神大震災の記憶なのだった。一月に引きずられたまま、三か月を過ごし、気づけば、大阪に引っ越しを済ませていた。一月は行く、二月は逃げる、三月は去るを最も体感した時期でもあった。梅田のニュージャパンに出かけ、ふろ上がりの一杯を楽しむ。西宮で分断された線路を歩き、ときにはバスで四時間かけて三宮に帰ったこともある。何もかもが新鮮な経験で、いつのまにか、生田川沿いの桜が咲き乱れていたのだった。戦後、闇市を歩いたひとたちの経験の何分の一かを体験したような、再出発の空気に満ちていた。ニ、三年も経つと世の中は震災を忘れた。がんばろう神戸は神戸だけのものになった。それからまた歳月は流れ、すぐにその他、多くの事象と同様に思い出となった。東日本大震災があり、コロナがあった。2018年には大阪北部地震も経験した。台風、豪雨、火災、土砂崩れ。遠い異国の空の下ではいまでも戦争が続いている。物価高、少子高齢化、相変わらず給料は上がらず、イノベーションもない。GDPは四位へと下がり、2050年にはトップ10すら怪しい。2024年も値上げラッシュが続く。そんな日本をどう生き抜くか。その教訓が今思えば、阪神淡路大震災のあの三か月に詰まっていた気がする。再出発の足取りは軽く、見据えるのは未来だけ。がれきの中を注意深く突き進むが、決して足を取られることもない。必要なのはポジティブシンキング。あの頃は訓練しなくとも勝手にそう思えた。今は訓練が必要だ。生きていれば、試練は必ず訪れる。避けては通れない。要はそれを期待に置き換えることができるか。名著「思考は現実化する」に54の有名な言い訳が載っている。55個目を探すのは時間の無駄。そんな時間があれば、一歩、踏み出そう。成功の反対は失敗ではない。何もしないことだ。春がやってくる。その一歩が道となり、その一歩が壁にぶち当たることもある。迷わず壊せ。壊せばわかるさ。