2月2日 朝
今日はセイントヴィシャスデイ。誕生日は忘れたが、この日だけは覚えている。シドが生きていれば、67歳。ジョーもジョーイもいなくなったし、ミックは禿げた。ジョンにいたってはブタになった。ジョンももういないのかもしれない。シドほど幻想のなかに生きているパンクスターはいない気がする。みんな傷を抱えながら生きている。かつて、シドは言った。何歳になってもガキのままでいられるんだ。ある意味、正しいが、本質は少し違う。先日、桐島聡が実名を告白したあと、あっけなく旅立ってしまったが、生前の姿がちらほらとメディアに流れはじめた。音楽に合わせて、踊っているような映像。ビールジョッキを片手ににやりと笑う写真。彼もまた子供のまま大人になってしまったような人間かもしれない。ここで素朴な疑問。子供のまま大人になるという表現はおそらく精神年齢と外見のギャップを指しているものとおもわれるが、シドのいった大人になっても子供のままでいられるという心理とは異なる。一時期、ピーターパンシンドロームブームが世に吹き荒れたことがある。この言葉を最初に世に出したのは心理学者のダンカイリー氏であり、これが1983年のこと。目新しさもあったのだろう、心理学の格好の題材とあって、これを取り上げた著作もまた世にあふれかえった。年齢的には大人なのに、精神がそれに比例して成長できないひと。どちらかというと、子供のまま大人になるという表現はこちらに近い気がする。では、シドのいった子供のままでいられるというのはどういう状態なのか。記憶喪失によって体験が退行してしまうのか、はたまた子供を演じ続けるのか。どちらも違う。シドはその答えを大衆に見せつけた。自らのエクスペリエンスで証明したといってもいい。それが何十年か前の今日だったということ。シドは21歳のまま成長することをやめてしまった。99パーセントがゴミの世の中で、大人になって何かいいことあったかい。シドは今も語り続ける。語り継がれ、語り続けるのだ。