2月20日 朝
大相撲力士のセカンドキャリア問題。若くして角界入りし、学歴や世間の内情を身に着ける間もなく、気づけば、あ、という間に10年の歳月が過ぎる。相撲部屋という異世界で過ごした年月の世間ずれは実社会にどう映るか。9年間の土俵生活を経て、セカンドキャリアに踏み切った元力士の宮崎氏はこう語る。「相撲界の常識は世間の非常識ですから。世間では23~24歳はまだ若造ですけど、相撲界では結構、兄弟子なんです。洗い物やちゃんこの準備は下の子がやってくれるから、自分らみたいな兄弟子はほぼ何もしない。それで楽を覚えているから、社会をなめていたというか、見下していたというか」宮崎氏は現在、実家のクリーニング店で働いている。ほかにも引退して介護職、お笑い芸人になった元力士もいるが、共通していえるのは皆、現役時代の階級が低かったという一点。つまり、相撲界ではあまり出世できなかったひとたちという括りにまとめることができる。されど、ここがその他の業界との違い、相撲界独特の時間枠というか、セカンドキャリアというよりは第二新卒のようなフレッシュさのあるのが特徴だ。先の男性にしてもキャリア9年といえど、引退は23歳。なかには中学卒業と同時に相撲部屋入門。3年間の土俵生活を終え、18歳で引退。翌年、吉本の養成所に入所というひともいて、これはもう養成所入所がキャリアのはじまりといっていいのかもしれない。翻って、横綱という頂点を極め、若くして引退廃業した力士がいる。そのひとの名は北尾光司氏。光を司ると書いて、光司。くしくも貴乃花光司氏と同名の元横綱。四股名を双羽黒という。1986年9月に横綱に昇進。87年12月におかみさんを殴る疑惑で部屋から遁走。すぐに師匠から廃業届が出されるという昨今ではあまり聞かない横綱像の人物。その後、プロレスラーに転身し、最後はナイフ職人としてその生を終えた。2019年2月10日。享年55歳。波乱に満ちた人生と当時、勿忘草に世間は水を与えたが、浮き沈みの多い人生というほうが正しかった気がする。大相撲のセカンドキャリア問題を考えたとき、まっさきに浮かんだのはこの北尾氏の人生だった。