2月23日 朝

明治モダン、大正ロマン、昭和レトロという言い回しで、じゃあ、平成は。ふ、と思いついたのが平成デジタル。アナログからデジタルへと切り替わる過渡期という意味で平成の30年はデジタル新世紀だった気がする。令和になって6年。本日の天長祭を奉祝するがごとく日経平均株価が過去最高値を更新した。思い返せば、1989年12月の大納会に3万8915円で取引を終えたとき、世はバブル景気の真っただ中にいた。ザラ場では3万8957円まで高騰したが、昨日の終値はそれすらを上回り、3万9098円という高値を記録。夕方のニュースでは証券マンの泣いて喜ぶ姿がテレビ画面に映し出された。日経平均が史上最高値をつけ、バブル期との違いを解説する局もあったが、ヤフーアンケートを見ても、恩恵を実感する声はひじょうに小さなもので、景気に至っては悪くなっているという答えが大半を占めている。1989年と何が違うのか。おそらく年配者のなかには何も変わらないという感想を持つ庶民が多いのではないか。あの頃は明確な名前が定着していなかったが、今でいう勝ち組と負け組というカテゴライズがしっかりと根付いていた。1億円が道端に落ちている。ソニーがエンパイアステートビルを買収した。買ったマンションが爆上げ。フェラーリテスタロッサが暴騰。土地ころがしで巨万の富。地上げにヤクザにホストにフィクサー。景気のいい話がごろごろと世間をにぎわせていたが、そういった恩恵に与れるのは鼻の利く一部の連中だけだった。「いや、そんなことはない、トリクルダウンで全般にいきわたったはずだ」と鼻息荒く反論する声もあるだろうが、バブルの恩恵は結局のところ、資産を持つ人間にとっての恩恵に過ぎなかったのだ。100億円がうなる天上とは別の路地の片隅に大東京ビンボー生活マニュアルのような実態があった。三人の子供を抱える私の母もビンボーだった。三人の子供たちもビンボーだった。恨めしい気持ちで世の中を眺めていた。おなじビンボーでも景気がよかった分、昔のほうが暮らしやすかったと見る向きもあるかもしれないが、昔のほうが物価の選択肢は低く、最低賃金も安かった。ここにビンボーのからくりがある。ワインが6000円。缶ビールが220円。以下、割愛。近頃、すっかり聞こえなくなったビンボー。あまりにみじめだったせいか、ボンビーという呼称も流行った。令和の次がいつになるか知る由もないが、2024年2月22日は1989年12月29日のようにあと何十年かすれば、日本史に刻まれるはずだ。バブル期は翌年、株価の下落に引きずられ、あれよ、あれよ、と終焉し、のちに失われた30年がはじまるのだが、バブル期といまの違いをひとつだけ上げるとすれば、バブル景気を経験したかどうか。それだけは違う。ふいに令和バブルという言い回しを思いついた。当たるといいな。

2月22日 竹島の日

本日は竹島の日。コリアンが日本固有の領土、竹島を盗んでから70年が過ぎた。なぜ、日本国民一致団結して奴らに石をぶつけない。はらわた煮えくりかえってぶちぎれそうや、という日本人をひとりでも多く増やすため、啓もう活動は続く。そして、この日は歴史を振り返ることにしている。なにが起きたのか。どうして奪われたのか。それはひとえに日本人の怠慢が引き起こした悲劇だが、同じように敗戦のどさくさに奪われた領土が北方領土だ。第五方面軍が反撃を試みなければ、北海道もロシアのものになっていた。笑福亭鶴瓶のような左巻きが領土の大切さを踏みにじる発言をしてもマスゴミは吊し上げることもない。ああいった連中が社会的地位を築き、それに胡坐をかいたまま、いまだ娑婆で息をしているのが今の日本だ。不愉快千万だが、これが今の日本の現実でもある。昨年の7月に奈良へ行き、大和西大寺駅前でこうべを垂れた。真昼間だったが、人目をはばからず号泣した。その横をガキがスマホを眺めながらじゃまそうに通り過ぎた。これも日本のよくある風景。おれはおれの一票を持って、選挙に行くだけ。日本が変わることを願って、一票を投じる。いつも言い聞かせる。桐島聡になるつもりはない。コリアという名称を見るのも聞くのも不愉快だが、多様性のドジャースは認める。ジャッキーロビンソン、野茂英雄、パクチャンホ。かといって、開幕投手が決まった山本の試合を見るかというと見るわけがない。竹島の不法占拠を続ける連中が暮らす国。ぬすっとの国。パクリと嘘つきと恨の国。吐き気がする国。ドジャースタジアムの開幕を待とう。昨日はひさしぶりに英霊来世を聴いた。リメンバーパールハーバー。こっちのセリフだ忘れるもんか。胸に響く。竹島を忘れるな。悲劇を繰り返すな。日コリ併合反対。こっちのセリフだ忘れるもんか。

2月21日 朝

今夜も睡眠浅いぜ、深く寝たいぜ、昼寝かマッサージでオチたいぜ、というggstandapの歌詞が身に染みる今日。夜中、何度、目を覚ましたらよいのだろうか。ぐっすり眠れるのは明け方近く。そうすると起きるのが遅くなり、朝の用事が滞るわけで、よりいっそうのスピードアップが求められる。スピードアップとクオリティ保持には明確な相関性がある。時間をかければかけるほど、だいたいのものはよくなる。逆に時間が少なければ、瑕疵の可能性も出てくるし、なにより、思考に奥行きがなくなり、薄っぺらな判断となりやすい。ということはQOLも下がる事態になりかねない。QOLが下がるとどうなるか。生活が重くなる。生活が重くなるとどうなるか。美容に差し障る。そう、すべてはこの一点に集約されるのだ。最近、Amazonプライムで湯遊ワンダーランドをよく見ているのだけれど、まんしゅうきつこ改め、まんきつさんの最新刊が、そうです、私が美容バカですというマンガで、たまたま本屋で見つけた。買ったかというと、買っていないし、内容も知らないのだけれど、湯遊ワンダーランドを見ていたことで、おそらくカラーバス効果なのだろうが、そのタイトルと表紙がすごく目を惹いた。アル中ワンダーランドに感銘を受け、早、何年が経過したかさっぱり見当もつかないが、とっとと消えると思っていたサブカル漫画家がいまなお根強い人気を誇っている。その原点のようなものがこのタイトルに宿っている気がした。そうです、私が美容バカです。帯の惹句には「うそです、本当はめちゃくちゃしてます、美肌のためなら私、土だって食えます」とある。はじめて、まんしゅうきつこさん、改め、まんきつさんを見たときはその名前と容姿のギャップに慄いた。驚いたのではなく、おののいたのだった。美容の基礎はまずは睡眠。ぐっすり眠れたそのあとは美容に励みたいと思うのでした。