11月30日

兼六食堂がつぶれていた。看板がない。メニューの洪水のような入り口が見当たらない。検索すると、2022年8月16日に閉店したことがわかった。創業何年か知らないが、相当、古いだろうなとおもわれる外装。店内に足を踏み入れると、町中華というよりは一杯飲み屋のような雰囲気。いつも決まって入口のすぐそばの席に座らせてもらっていた。向かって左が厨房。大将とその奥さん、それに娘さんか従業員かわからないが、店員がもうひとり。奥に小さなテレビ。配達にでかけるときはさらにその奥のドアを通って外に出る。日之出商店街の道幅は1.5メートルぐらいだろうか。狭い路地を抜けると、もうそこは大学の通用口に一直線という感じで、学生らしき若者と通りすがるのが日常風景だった。この店を知ったのは10年ぐらい前のことで、以来、えべっさんのときに訪れる定番となったが、付近の大学生にとっては馴染みというより、もう家族のような存在だったかもしれない。商店街のなかには大学oBと銘打つ店もある。ふぞろいの林檎というドラマがあったが、ドラマのなかに出てくる中華屋のような趣があり、引き戸を開けると、いらっしゃいと出演者の声が聞こえてくる気がするのも毎年のことだった。200円のラーメンと聞くと、どのような姿かたちを想像するだろうか。昔は幸楽苑やスガキヤも同じような値段で提供していたかと思うが、2022年のコロナ当時にも価格を変えることなく営業を続けていたかと思うと、頭が下がるというか、涙がちょちょぎれるというか。しかしながら、おまちどうさま、とテーブルに置かれたラーメンを見ると、おそらく、それは誰が見ても、まあ200円ぐらいだろうなと納得する佇まいなのだった。あのラーメンを食べることはもうなくなった。孤独のグルメに、あの店のない銀座かあ、というセリフがあったが、似た思いが今、胸に迫るのだった。

11月29日 朝

寝屋川のえべっさんに行った帰り、必ずといっていいほど寄っていた店がつぶれていた。その名は兼六食堂。付近に大学があり、そこの学生御用達の激安店だった。注文したことがあるメニューを挙げると、カレーうどん280円。あんかけうどん220円。ラーメン200円。うどん170円といった具合だ。むろん、立ち食いではない。なんばにあるようなカウンターだけの店内でもない。定食にしても300円台400円台というちょっとにわかには信じがたい価格帯で長年、営業されていた。最後に行ったのがコロナの最中だったから、たぶん、2021年のえべっさんのときだと思う。特にお気に入りがあんかけうどんだった。頼めばショウガを多めに入れてくれる。寒く凍えたカラダを熱々のうどんで温める瞬間は至福だった。奈良に行った帰りについでに寄ってみることにした。たいてい、旅行帰りは朝食バイキングでおなかがいっぱいということもあり、なかなか昼食メニューが決まらない。貴重な人生の一食を飛ばしてしまうのももったいない。というわけで、いつも悩ます旅行帰りの昼食問題だが、たまたまミナーラで見かけたはなまるうどんのあんかけショウガうどんがとてもおいしそうだった。量といい値段といい、これだと思った。だが、断念した。昼食時ど真ん中ということで、長い行列ができていたからだ。とりあえず、ここをあとにし、大阪に帰ってから昼食にすることにした。頭のなかはうどんが6割ぐらい。そうしたなかで、ふ、と思い出したのだった。どうせ帰り道なのだからひさしぶりに寝屋川の兼六食堂に行ってみよう。あんかけうどん220円。これほど現状にぴったりな一品はないと思った。日の出商店街近くの駐車場に車を停めて、歩くこと1分。歴史のほとりに沈んだような古びた商店街の入り口が見える。50メートルないような短い商店街なのだが、格調高き昭和の風情がたまらない。あれ、いつもなら激安と書かれた兼六食堂のきらびやかな看板が光っているはずなのだが。明日に続く。

11月28日 朝

カップ麺は節約か否か。もともとはエックスのとある投稿が発端だった。貧困問題に取り組んでいるはずのこの投稿主の発言が炎上した。要約すると「昼食代を節約しようとコンビニでカップヌードルを買ったら231円。思わずレジの金額表示を三度見した。今後はカップ麺も高級品になるのか」という投稿で、これに疑問符がめいっぱいついた形だが、この論争を記事にしたひとはどちらかというとこの投稿者を擁護するスタンスから「御幣を恐れずにいえば、貧乏人の解像度が低いのは、どちらかといえばこの投稿者に怒りのコメントを寄せている人のほうではないかとさえ感じた」と述べている。どういうことか。つまり「コンビニでカップ麺を買う貧困層という、一見すると矛盾した消費行動をとる人々がいる理由、それは彼らがスーパーで特売の袋めんをまとめて買うほうがお得(合理的)であるといったコンセプトをそもそも持っていないからである」という理由に基づいている。ひとことでいうと、貧すれば鈍する、という理屈。全4ページある見出しから察してみたい。「貧困とは情報量の差ではなく文化である」「貧すれば鈍するは真実」「上質な暮らしがさらに豊かさを呼び寄せる」なんとなく察することができると思う。それで思い起こすのが消されても消されてもユーチューブに上がり続ける某大家族スペシャルのお母さん。彼女の生まれ育った環境に富裕層の習慣がなかった。そう考えると、あのような非合理な行動も理解できる。記事はこうも述べている。「貧しさそれ自体が頭をわるくし、豊かさそれ自体が頭をよくするーー結果として貧困層と富裕層の経済的、文化的、認知的格差はさらに開いていく」寝ても覚めても家計のやりくりを考えている人間と余暇時間を芸術鑑賞や習い事といった教養活動に回せる人間ではおのずから生活レベルにも差が出て当然といえなくもない、というわけで、普段から頭をフル回転させ、スーパーで知恵を振り絞るあなたやわたしはもしかすると相当に洗練された富裕層予備軍なのかもしれないのだった。