9月22日 朝
朝から珍しくテレビをつけると、モーサテでパックンの目がやっていた。ああ、そうか、今日は金曜日か。今日のテーマは「ニューヨークを襲う移民危機」移民といえば、国境というイメージだが、なぜ、東海岸というと、バイデン政権の移民政策によるところが大きい。さらにねぐらや食料の提供というホームレス対策が移民にも適用されるスケールメリットがある。大統領選にも影響を及ぼしかねない問題だが、共和党vs民主党だけでなく、民主党内部でもバイデン政権の移民政策に対する批判の声は高まってきており、対立は激化している。どうする、どうなるニューヨーク。リベラル派パックンの答えは極めて単純明快なもので、移民がもたらす利点を思い出せというものだったが、果たして、このトピックスを紐解くと高齢社会と移民というふたつの課題に行き当たるのだった。社会の高齢化のお手本を日本が呈し、移民問題の解決を米国が示す。ふたつの呈示が地球の今後を占う。環境問題も突き詰めれば、このふたつの難題に収れんするのかもしれない。日本がとるべき対策は一貫してテクノロジーの発展を軸に置くべきとおもうが、社会の急速な高齢化にどこまでそれで通用するかという悲歎な側面は否めない。今までの議論は構造をがらっと変えてしまうか、構造を維持するために移民を受け入れるかという二点で語られることが多かった。実験的にはじまった外国人実習制度の取り組みによって、さまざまな課題点が浮き彫りとなり、ウィンウィンどころか、搾取と不正の応酬の実態が明らかとなったのは長い目で見ると、報酬に値するのかもしれない。社会構造の維持は結句、歩きながらのデモクラシーと似たからくりであり、変化を受け入れることで、変化のもたらす社会構造を維持することでもある。高齢者にぶつかるか、ベトナム人にぶつかるか。避けて歩くには道が細すぎるのだった。