8月31日 朝
8月の終わりにストを実行する百貨店があるらしい。もし実行されれば百貨店では61年ぶりのストということだが、この一報に触れて、最初に思い出したのは豊島区長の高野氏のことだった。最後までそごう西武の売却反対を訴え、志なかばに斃れたが、年齢は何歳だったかというと、85歳。維新の豪傑たちとは比べ物にならない息の長い革命家だった。氏の跡を継いだのは女性初の豊島区長、高際氏。年齢は58歳。世代交代が進んだ形だ。その高際氏は今回のストに関して、どういう見解を示しているかというと「そごう、西武にも区にもプラスになることはない」と述べている。労組に肩入れする世間の声がいかほどかというと、結句、区長の意見に寄り添う声が大半ではないかという気がする。大手百貨店のストライキでは1962年の阪神百貨店以来ということだが、その当時とは時代が異なるし、百貨店を取り巻く経営環境もまるで違う。リアル店舗だけでなく、世界の小売店のボーダーラインはいまや風前の灯というか、池袋の顔かなんか知らないが、そんな顔で生きていけるほど、世の中は無知ではなくなった。池袋本店で働く約千人が出社をやめたところで、自らの首をしめるだけなのではないだろうか。しかも平日の木曜日。世間の人々はそんなに百貨店を必要としているのだろうか。少なくとも電車や電力のようなライフラインとは程遠い気がする。高野区長はもういない。大阪都構想に反対した年寄りも2040年にはいなくなる。少子高齢化の波は勢いを落とすことなく、今後も論点の中心に据えられる。池袋のストの本質は、日本が背負っていくであろう負の本質を世間に如実に表す典型的一例なのかもしれない。郵政民営化が2007年。国鉄民営化が1987年。時代は突き進み、いまに至っている。当然、その過程のなかで強固な価値観も次々と散っていったのだった。