6月30日 朝
6月の終わりにパソコンが壊れた。古いデスクトップパソコンを引っ張り出してきて、右往左往しながらなんとかネットにつなげた。メインに使っていたパソコンはi7のメモリ16ギガのミニパソコン。2年前に買ったものだが、24時間365日つけっぱなしで使っていたため、おそらく電源ユニットのコンデンサがつぶれた。兆候はあった。昨日はそれが一気に表面化した形だ。ユーチューブを流していたら、突然、信号なし画面に切り替わった。電源はまだ光っている。長押ししていったん終了し、続いて電源ボタンを入れるがうんともすんともさんともかんともなんともてんともぱんともぺんともつんともろんともくんともえんともいわない。壊れた。ただでさえ、やるべきことが山積しているというのに、このタイミング。ただ、こうした事態には慣れている。忙しいとき、弱っているとき、つらいとき、休みたいときを見計らって、神は難題を矢継ぎ早にけしかけてくる。なぜなら、神が神は自らを助くる者を助くことを思い起こさせるためだ。絶好調のとき、無敵なとき、時間に余裕があるとき、神はそっぽを向き、知らん顔をしている。人生は富士の樹海で真理を得る。こうしてブログを書いているときも変換が使いづらくてしかたない。おそらく字数もいつもより多い。なんのためにブログを書いているのか、なんのためかいまとなってはもうほとんどその理由を忘れてしまったが、ブログを書いているあいだは理由が動機ではなく、動機が理由でもない。しかもマルチモニターでもない。ああ、つらい。このつらさをどうやって克服するかというと、まず、新しいパソコンを今日中に購入する。壊れたパソコンを修理する。押し入れにある無数のパソコンの処分方法を考える。何台あるのか。ノートが二台。デスクトップが三台。めんどうなので長年、押し入れで眠っていた過去の栄光たち。正直、過去に興味はない。ユーチューブで昔話をする連中が嫌いだ。映画レザボアドッグスにこんなセリフがある。「過去について語るな。未来について話せ」犯罪者たちの鉄則だが、意外と生きていくうえでの秘訣でもある。まず、ジムに行って走る。走りながら考える。