2月28日 朝
ONI~神々山のおなりがアニー賞の2部門を受賞したというニュースを見た。日本のアニメといえば、いまだ宮崎駿氏のようなスタイルが主流とおもっていたが、トイストーリースタイルがいつのまにか日本でも定着していた。このニュースに接したのは朝のことだが、たまたまその日の午後にルパン三世thefirstを観た。2019年12月6日に公開された今作はシリーズ初のフル3dcgアニメーション作品であり、遅ればせながら初めて観て、度肝を抜かれた。また、ストーリー的にもカリオストロの城を髣髴とさせるロマンティック冒険譚で、見どころは多岐にわたる。モンキーパンチ氏は以前からルパンの3dcgアニメーション化に注力しており、2018年に構想が動き出すのだが、完成前に氏はこの世を去る。本編終了後のクレジットに「これからもルパンを世界に向けて、いろんな冒険をさせたいと思います」というテロップが添えられているのだが、この言葉が身に染みる。先日は松本零士氏。時間は夢を裏切らない。夢も時間を裏切ってはならない。この言葉も身に染みた。ルパンといえば、次元大介。ふたりは切っても切れない相棒。ルパンとのつながりの格でいうと、三番手が不二子、四番手が五ェ門ということになる。シリーズを通して、ルパンの相棒を勤め上げた次元だが、ルパンファーストは小林清志氏の最後の作品でもある。SAの青春に捧ぐpart2に「いつか、その声も思い出せなくなるのか」という歌詞が出てくるが、そんなアニメ界を実感する昨今ではある。とっつぁんに続いて、次元、おまえもか、という気分。ドラえもんもいなくなった。タラちゃんもいなくなった。次は誰だろう。3dcgルパンをいまさらながら体験し、世の中の変遷に驚いているかというと、そうでもなく、必然の移り変わりと捉えている、と同時にそういったカテゴライズすら最近は鬱陶しく映る。「古いか、新しいかなんて、まぬけなやつの言い分だった、おれかおれじゃねえかで、ただ、命がけだった」と長渕氏が歌っていたように、世の中の変遷など、そんなものなのだとおもう。先日、手売りのみで100万枚を完売すると公言する男が戎橋のはしっこで歌っていた。レコードプレイヤーが目新しい世代がいることを考えれば、古いとか、新しいとか、の概念は既成概念に過ぎないのかもしれない。ルパンを観た。おもしろかった。