11月30日 朝

今日で11月も終わり。明日から師走となる。毎年、1年が猛スピードで過ぎていく。気づけば来年。うさぎどし、ぴょーん、でわかるひとはわかると思うが、いよいよダウンタウンのお二人が還暦を迎える。ハイヒールも還暦。130アールも還暦。光陰矢の如し。月日というものは過ぎゆけば、その名を思い出と変えるのだった。かつて心斎橋筋2丁目劇場というものが存在した。その名のとおり、心斎橋筋2丁目にあったのだが、この場所を取り囲む空気感を覚えている人間がそろそろ老境に差し掛かっているという事実。流行発信基地などと昨今、聞かないが、間違いなく、この界隈はそのひとつだった。2丁目劇場が閉鎖するとき、特別番組が組まれた。ダウンタウンをはじめとする4時ですよーだ関係者を筆頭に天然素材メンバー、すんげーベストテンメンバー等、2丁目にゆかりのあるひとたちが総出演した。ミレニアムを目前にしたあのとき、大阪のひとつの時代が終わった気がしたものだった。心斎橋は今でも若者のメッカではあるが、外国人観光客とすれ違うほうが多い気がする。昔はこのあたりを歩いていると、芸人さんを必ず見かけたものだが、そんな印象も薄くなった。2丁目劇場があったビルは解体され、新たに複合ビルが完成した。サイゼリヤが入っているので、一度、訪れたことはあるが、もう昔のような流行発信基地という雰囲気は皆無で、ただのおもしろくないビルのひとつとなった。2丁目劇場に出演していた芸人さんの多くは芸能界のトップレベルに上り詰めたのは周知のとおりだが、ダウンタウンを取り巻く裏方のひとたちの出世がすごい。4時ですよーだのadだったチャチャイさんは芸能事務所の社長。プロデューサーの田中さんは毎日放送の社長に上り詰めた。マネージャーを含む周囲もいまでは吉本の会長、社長、副社長の座に収まっている。ガキ使スタッフも出世した。芸能界のトップをひた走るダウンタウンが齢をとるのも致し方ないといった側面もあるが、ダウンタウンで育った世代なので、ふたりが還暦、と聞くと、どきっとする。2014年もとっくに過ぎ、2025年の万博のアンバサダーを務めるふたり。先日、御堂筋に登場したが、その人気ぶりはすさまじく、松ちゃん浜ちゃん見たさに30万人が集まった。うさぎどし、ぴょーん。来年も飛躍の年になることでしょう。

11月29日 朝

コスタリカ戦はホテルのラウンジで観た。と書くと、ラグジュアリー感が漂うのだけれど、そんなことはなく、宿泊客の大半が外国人観光客というインバウンド向けビジホの一階無料ラウンジで無料ドリンクを飲みながら外国人のひとたちとテレビ観戦した。しかも音のほとんど聞こえない40インチぐらいのテレビだった。それでも酔っ払いの喧騒はじょじょに高まり、終盤には絶叫も聞こえた。考えられない失点で試合を落とし、スペインに勝つか引き分けるかしか道はなくなった。正直、勝てる気はしない。引き分けたとしてもドイツがコスタリカに大勝すれば、日本のリーグ突破は消える。ドイツに勝ったのにコスタリカ戦を落としたという不名誉な記憶が今後、ずっとつきまとうかもしれない。しかし、見方を変えれば、スペイン戦がひじょうに楽しみになったのは事実。朝、4時のキックオフ。目覚めたときには決着がついている。いい朝であることを望む。おさらいをしておくと、現在、日本は勝ち点と得失点差で2位につけている。ドイツがコスタリカに負けることはないと断言できるので、コスタリカの順位は無視。スペインと日本の結果が1対1以下の引き分けとなり、ドイツが2点差以上で勝った場合、次のステージに進めるのはスペインとドイツということになる。日本が引き分けでドイツが大量得点を奪えばドイツと覚えておけばいい。複雑なのは日本とドイツが総得点で並んだときだが、この場合、日本はドイツに勝っているので日本が決勝トーナメントに進むことになる。ドイツに直接対決で勝ったという事実がここで活きてくることになる。万に一つの可能性に賭けて、日本がスペインを破った場合、ドイツの結果いかんによらず、日本は1位抜けとなる。日本が1位抜けとなった場合、スペインの2位抜けがほぼ確実となる。ドイツが決勝に進むためには大量得点でスペインを上回るしかない。最初、勢いを見せたアジア勢も二試合を終えて、決勝へのチャンスがあるのは、日本、オーストラリア、イランの三か国となった。どこが生き残るか。11月も終わろうとしている。決戦は12月。まさかの年の瀬なのだった。

11月28日 朝

蔡英文が統一地方選大敗を受け、党首を辞任。日台関係を考えたとき、これは打撃だ。蒋介石のひまごが台北市長に当選したとも聞くし、いよいよきな臭くなってきた。台湾の政局を注視。乾燥してきたので卓上加湿器を出したら、一台、壊れている模様。ワンシーズンで故障とは。もしかすると、保証が効くかもしれない。あとで確認しよう。ガーゼが解散した。まだ、バンド活動していたのかというのが実感。さて、Amazonプライムでよくみるものに「おいしい給食」がある。これを流しながら料理をつくったり、そうじをしたり、まゆげを整えたりする。何回も観ているので、安心感があり、さらに何度、繰り返し観てもおもしろい。舞台は1980年代の地方の中学校。給食を愛してやまない教師と生徒のバトルを描いたコメディ。おいしい給食、シーズンツー、劇場版と観たが、まだ、卒業編は観ていない。無料配信を気長に待つ。1980年代が舞台というわけで、全般にノスタルジックな雰囲気が漂うなか、現代的な演出もところどころにちりばめられており、タピオカドリンクの流行を予感させる描写などもあったりして楽しい。給食と聞いて、ぱっと思い浮かぶものはコッペパンと牛乳な世代にとって、懐かしさもあり、当時のあじわいを思い出して、うまそげ、でもあり、献立という言葉の響きに毎回、引き込まれてしまう。ちょっと検索すると、人気投票、給食メニューランキングというものを見つけた。誰にだって、昼はくる。ランチをのぞけば人生が見えてくる。特別な施設に入れられていないかぎり、誰にだって給食の思い出があるのだった。1位はなんとなく想像した結果と合致。カレーライスだった。ただ、個人的にはカレーにライスが付属した記憶がない。米飯は金曜だけとか特別なものだった。カレーにコッペパン。そして、牛乳。デザートは冷凍みかん。2位が鳥のからあげ。クジラの竜田揚げ世代との分かれ道。おいしい給食はクジラだった。ソフト麺、ミルメイクといわれてもいまいちぴんとこなかったが、八宝菜にはついていけた。給食が楽しみだったかというと、ぜんぜん楽しみではなかった気もするし、弁当持参もいやだった記憶がある。集団でごはんを食べるという行為が不潔でいやだったからかもしれない。されど、給食には言い知れぬ思い出がつまっている。こども食堂の存在が昨今、世をにぎわしているが、差別なく栄養摂取できる最初の工夫が給食だったのだ。大阪市では維新のおかげで学校給食の無償化が実現した。これによって保護者の経済的負担が減ったが、銀行口座を開設できない反社の親への差別もなくなったことはあまり知られていない。やくざであろうとひとの親なのだ。同じ釜の飯を食うという表現があるが、おいしい給食を食べていたみんなは今、どこで、何をしているのだろうか。ノスタルジーな給食に思いをはせるのだった。