10月31日 朝
ハロウィン本番を前にお隣の国で雑踏事故が発生した。場所は渋谷と同様、若者たちが集まる繁華街で、事故後の写真を見る限り、異常な人混みであったことがわかる。雑踏事故が起きるのは全般に楽しいイベントの場合が多く、たとえば先の国葬で、献花に5時間待ちの行列ができたが、事故は起きなかった。国葬で雑踏事故が起きたという事例は聞いたことがない。事故のニュースはコンサート、花火大会、ハロウィンやクリスマスイベントの集結などで聞こえてくる。2001年7月21日に明石市で発生した雑踏事故。明石花火大会歩道橋事故として記憶されるが、事故当初、どのような状況だったか。一平方メートルあたりに13人から15人が密集した異常な過密状態であり、一昔前の山手線の通勤時間帯ぐらいの混雑状態だった、と窺い知ることができる。今はどうか知らないが、バブル期、テレビ映像で流れてくる山手線のラッシュ時の状況は恐怖だった。乗客は当然、皆、人間だが、人間扱いされているとは思えなかった。駅員にぎゅうぎゅうと押し込まれ、ドアという名のふたで閉じられる。電車にゆられるという発想すらない。寿司折に入れられた寿司は詰まっているから揺れないのだ。このような満員電車のごとき混雑状態が、上下左右を閉鎖された歩道橋のなかで起きていた。地下鉄であれば2両ぐらい。モノレールで換算すると、4両ぐらいだろうか。この中を通って20万人の人々が花火大会会場である大蔵海岸へ向かった。おそらく場所によっては他人の頭が5センチ先にあり、ひっこめた手は持ち上げることもできなかったのではないだろうか。心理面のパニックも背中を押し、やがて将棋倒しが起きた。当初は混乱による雑踏事故という認識しかなかったが、警備上の不備が次々と浮かび上がり、知るたび、むかっ腹が立ったのは先の奈良県警のときと同じだ。兵庫県警は暴走族対策として292名配備していたいっぽう、雑踏警備には36人しか人員を割いていなかった。警備会社がまたひどい。責任逃れ、いいわけ、責任転嫁に終始し、挙句、有罪判決が下ったのちも控訴し、最高裁で刑が確定するまで10年も無駄な血税が使われ続けた。コロナ禍も悪いことばかりではなかった。ソーシャルディスタンス、三密回避、少人数、短時間。雑踏事故の教訓を生かすことだけでなく、コロナ禍で築き上げた新しい習慣を根付かせることも重要だとおもう。もう昔の日本に戻ってはいけないのだ。満員電車、渋滞、過労、転勤、終身雇用、年功序列、時期尚早、ことなかれ主義。雑踏事故のニュースに触れると、いやな言語ばかりが脳裏に浮かぶ。