カリキュレーターという映画を観た。ロシア製作のSF映画で、映像と設定には期待させるものがあったが、途中の展開から駄作を確信した。見終わるころにはロシアンエンターテイメントの限界を悟ってしまった。2014年と比較的、最近の作品で、その翌年にロシアはクリミアを併合することになるが、あの当時にこんな近代的なSF映画をつくっていたのかと意外な気がした。ストーリーの説明は割愛するが、冒頭シーンから想起したのは映画キューブだった。キューブは傑作中の傑作だが、カリキュレーターは映像がすばらしいだけに残念。真相を明かされてからのアドバンスはペットと温泉とグルメをむりやりねじ込む日本の二時間サスペンスを模倣したとしか思えない蛇足感にあふれている。ここで恋愛感情はいらない。ここでシリアスはいらない。しかも間違っている。シリアスは涙をさそわなければ成立しないが、笑いを呼んでいる。ここでお馬鹿さんはいらない。ハラハラドキドキがない。もしかすると、あるのかもしれないが、見事に失敗している。気になりだすと、もうすべてがお笑いにしか思えなくなってくる。ガッチャマンの総裁Xを彷彿とさせる総統がすでに笑いの伏線だったのだ、と最後の極秘軍事施設の下りでは逆にこの映画の脚色に興味が湧いてしまうという逆転現象を体験することもできた。主人公の女性の演技も後半になると、鼻についてくる。舞台出身の役者に多い過剰な反応というか、もうちょっと微妙な反応はできないものかと、ここで、はた、と気づいた。カメラワークに問題があるのだ。映像はきれいだが、単調であるし、物足りない。演出か、脚本か、はたまた相乗効果でこけているのか。この映画を観る前にモータルエンジンというニュージーランド製作の映画を観た。いわゆるスチームパンクもので、ラピュタやパタパタ飛行船を愛するものにとって、愛すべき映画だった。映像もきれいだった。だが、何かが欠けていた。ふたつの映画に共通するもの。何が欠けていたのだろう。スタローンのサマリタンも観た。こちらは2022年製作。76歳となったスタローンがヒーローとはなにか、善と悪とはなにかを世間に問いただしている。先日の永ちゃんもそうだが、70代がすごすぎて、ひく。
8月30日 朝
2009年8月30日、民主党政権が誕生した。第二次安倍政権が発足するまでの3年半、日本人は悪夢を見た。このころのダイヤモンドザイにでっぶでぶに太った騎手をばっきばきに鍛えた競走馬が支えるという挿絵が載った。日本と利益がぶつかる各国の騎手は一様にスマートだった。精悍な競走馬に乗って、軽やかにレースを繰り広げていた。でっぶでぶに太った騎手を乗せて、馬はよくがんばったと思う。しかし、大地震によって限界の壁はあっけなく破られる。超円高によってもたらされた輸出企業の失墜は日本社会に深刻なダメージと傷跡を残すことになるが、庶民にとって止まらないデフレの波は一見すると悪くないといった風潮があったことも事実で、ボディメーカーのタオルが100円で売られていたこともある。一杯100円の生ビールがカラオケボックスで飲めた。シーズンオフのハーフパンツを100円で買えたのもあのころだったと思う。我先にと買いあさったバブル期のインフレをあざ笑うように買い控えの時代が続く。アベノミクスのインフレターゲットの強行により、日本経済は一時的に持ち直すが、庶民が見たささやかな夢は悪夢だったにもかかわらず、その習慣はとうとう最後まで抜けず、スタフレを実感する世の中となってしまった。最後の希望だった積極財政派の安倍元首相を失い、政策に提言できる積極財政派の大物政治家が見当たらないなか、財務省の入れ知恵が岸田総理をゆさぶっている。コロナ禍、ウクライナ戦争が物価高に拍車をかけ、相も変らぬ非正規雇用に恒久的な低賃金路線、成長のみえない産業基盤、進歩のない日本的経営が足をひっぱる。皮相的に見れば、バブル期から引きずる団塊世代の価値観がひっぱっているようにも映るが、実状は民主党政権が作りかけたリベラル実存主義とも呼ぶべき理想論が引き起こした怠慢がいまだ尾を引いているのだ。民主党が他国から取り入れた耳障りのいいマニフェストという言葉にすっかり酔いしれた支持者たちの期待が崩れ落ちるまでそう時間はかからなかった。高速道路無料化、普天間県外移設、最低保障年金、子供手当、財源ねん出、衆議院定数削減と数え上げればきりがないが、すべて実現できなかった。2位じゃだめですか。斜陽を促進するような蓮舫氏のこう説がむなしく響いたものだった。三流を目指す役者は三流にもなれない、と、かつて、どこかで聞いたことがある。2022年8月30日。宇宙人はいまもなお元首相を名乗っている。
8月29日 朝
矢沢永吉ツーデイズが終わった。二日目のシークレットゲストはビーズのふたりだったようだ。盛り上がらないほうがおかしい。大谷翔平が七回無失点投球で11勝目。翌日には28号を含む三安打とファンを魅了。スーパースターたちに力をもらった週末だった。というわけで、8月最後の日曜日が終わった。秋を感じさせる風が肌に心地いい。湿度が低く過ごしやすい。昨日もそんな感じだったので家じゅうを徹底的に掃除した。あらゆるものを動かし、隅々まで掃除機をかけた。アルコール除菌スプレーを一本、使い終わるぐらい拭き掃除もした。ひじょうに満ち足りた気持ちで日曜日の夜を迎え、明けて月曜。今週がはじまった。昨日の続きだが、その昔、篠原涼子氏が主演を務めるドラマがあった。安倍首相を揶揄するような登場人物が出てきたり、当時、菅官房長官にアホな質問ばかりしていた東京新聞の頭のおかしい女性記者を賛美するようなドラマだった。タイトルは忘れた。おぼえているのはこのドラマがフジテレビドラマ史上最低視聴率を叩き出したことだった。前評判は安倍総理憎しのいわゆるアベガーが世の中には多数、存在するので、相当数の視聴者を確保できると思っていたふしがあり、東京新聞の女性記者の味方の援護射撃も相当数あるだろうと期待していたふしがある。目論見は外れた。これが映画館上映やDVD販売であったらまた数字は変わっていたかと思う。これがテレビの視聴率の特性なのだ。視聴率は現在、コア視聴率というものが重視されているが、いずれにせよこの測定方法はランダムな選択によるランダムな結果に基づいている。CDが何枚売れたとか、動画配信サービスの視聴回数とか、特定サイトのアンケート調査とか、購読者による是々非々とか、購買者の評価とか、集会の参加者の数とか、組織票が幅を利かせる数字によって、そこから垣間見える真実は信頼性に乏しい。SNSの声が選挙結果に反映し、ガーシーが当選したという見方もそれなりに危うい。国民一番人気とテレ朝がさんざっぱら煽った石破氏は最下位で終わった。もしかすると、日本国民のことではなかったのかもしれないが、一番人気という称号の根拠はかなり恣意的なものだったことは間違いない。CDが100万枚売れようが、その歌声はごく一部の人間にしか響かない。ファン心理がフィルターをかけて見えにくくするというか、じゃまをするのだと思う。矢沢永吉の50周年、大谷翔平の28号クラスに値する数字は世の中にさほど多くない。この数字すら見えない人間は無論、いるだろうが、世間の関心事と藤井壮太的な人間と世捨て人の定義でまた意味が違ってくる。世の中の数字を紐解くと、その多くはカラーバス効果に由来する。テレビの視聴率と選挙結果には相関関係がある。そのキーワードはサイレントマジョリティー。平成の時代には統計の取り方、見方のトリックに翻弄され、歪曲、印象操作、捏造に踊り続けた日本国民も令和のこの時代、笛吹けども踊らなくなった。フィッシング詐欺やフェイクニュースの横行も悪いことばかりではなかったのかもしれない。