6月30日 朝
六月も今日で終わり。マイナポイント第二弾とはりきってサイトを開くもいまだメンテナンス中の文字。今日はやるべきことがいろいろあるので、次から次へ片づけていこう。明日から7月。少し早い夏の幕開けとなったが、梅雨空よりも夏空のほうが気持ちいいのは確かで、あと一週間でたなばた。街のあちらこちらに笹の葉が飾られ、短冊がくくられている。ちょっとまえは「コロナがはやくしゅうそくしますように」みたいな願いが多かったが、今年はない。あるかもしれないが、昨日、見た限りはなかった。星に願いを。今年の願いは。と、つらつらと考えてみるに毎年、おなじというか、自分の歌を高校生ぐらいの集団がカラオケで歌っているというような状況が願い。特にハードな歌を中高生がカラオケで興奮しながらがなっている。ストレス発散、食欲増進、連携協調、思い出作り、歌唱自慢。カラオケというものはかつて娯楽の王様だったのだなあ、と改めて、つくづくと昔日のひとときを思い出してみたりする。居酒屋のあとはカラオケスナック、あるいはカラオケボックスへと流れるのがメインストリームで、当然というか、飲み会といえば、カラオケ、みたいな習性が体に染みついていた。コロナ禍がそれを一変させた。コロナで最も重大な感染経路は飛沫感染であり、さまざまな業態が自粛要請を受けたが、比較的、安心な業態、すなわち、感染対策の取りやすい劇場、映画館、スポーツクラブなどと違い、カラオケだけはかなり早い段階から問題視されていた。劇場はソーシャルディスタンス。映画館、スポーツクラブはそれに加え、声を出さないという点。居酒屋も三密を回避し、黙食、アクリル板といった工夫が考えられるもカラオケは声を出さないということはありえないし、たいていせまっ苦しい密な空間が主体であり、感染予防として何ができるかというとその対応はかなり狭まった選択肢しかなく、ステージにアクリル板、増幅された音声がスピーカーから、応援は掛け声やお囃子なしの手拍子で、と、そういったことができるのはある程度のオオバコの話であり、かつて利用した某ジャンカラなどは空間といっても人間ふたりが身動きできる程度の面積しかなかった。そういう店づくりであれば、かりに三人でそこを利用した場合、ひとりが感染していると、ひとりは二人に二人が三人へと、あ、というまに感染の輪を広げてしまうことだろう。カラオケ文化もすたれていくのか、と思いながらも願いは変わらないのだった。