5月31日 朝

世界禁煙デー。煙草をやめてずいぶん経つが、はっきりとおぼえているのはこの日に煙草をやめたということ。そのときのこともよくおぼえている。1時間か2時間ほどで禁断症状が出た。ふらふらするような、宙に浮いているような感覚。冷たかった手足に熱が戻っていくのもわかった。口寂しいので梅昆布か梅めかぶのようなものを10分おきに噛んでいた。2日もすると、そういった発作もおさまった。たばこのない生活というものが徐々に浸透しはじめ、一週間を過ぎる頃には考え方もすっかり入れ替わり、1か月後にはたばこのない生活が当たり前となった。何より身軽になったことがうれしかった。現在の持ち物といえば、スマホとハンカチ、昨今はそれに手指消毒スプレーを持ち歩く程度だが、昔はセカンドバッグという口にするのも恥ずかしい代物をわきに抱え、そのなかに何が入っているかというと、手帳、長財布、キーケース、携帯電話、ハンカチ、それにライターとたばこといった具合で、近所へ出かけるにもいちいち手荷物を確認するというバカげたことをやっていた。喫煙者を見る目も変わっていった。締め付けも厳しくなり、東京オリンピック開催を機に喫煙者を取り巻く環境がよりいっそう狭くなると、喫煙所の設置も必然となった。あの煙のなかにいたかとおもうとぞっとする。やがて世の中をコロナが席巻すると、喫煙所自体、閉鎖の憂き目にあい、屋内の喫煙風景に遭遇することもなくなった。それでも吸っているつわものもいるが、珍獣レベルからやっかいな害獣レベルに成り下がった存在という認識しかもはや持てない。コロナ禍が深刻な猛威を奮うなか、マスクを外し、たばこをくわえるおっさんを見て、かつて反社会的勢力を銭湯の片隅で眺めていた昔日をおもいだしたものだ。紙巻きたばこの値上げにより、喫煙者の主流になりつつある電子タバコだが、こちらはこちらで、そこまでして吸いたいか、という蔑みの気持ちが芽生え、そこまでして飲みたいか、という、アル中を憐れむのと同じ冷めた目で見てしまう。見なければよいではないか。吸わなければよいではないか。喫煙をめぐる泥沼の攻防。煙草をやめてよかったことはもう際限なく論うことができるが、いまだ不思議なことに煙草を吸っている夢を見る。夢の中で当然のように吸い続けているのだ。目覚めたとき、ああ、夢でよかった。ほっと胸をなで下ろすのだった。

5月30日 朝

ここ数日、食器棚の改造に取り組んでいて、試行錯誤しながらなんとか完成させた。問題はその副産物であり、どういうことかというと、そこには悪戦苦闘の傷跡が見え隠れするのだった。マンションなのでリビングには限られたスペースしかなく、長年、60センチ四方のものと30センチ四方のものを連結して使っている。ニッセンで買ったとてもシンプルでこじんまりしたキッチンボードだ。30センチ四方のものは上部のガラス扉部分をコップ類の収納に使用しており、引き出しをはさんで下部の扉にはどんぶりなどをつっこんでいる。引き出し部分は使用頻度の高い常用サプリ類。上は棚板が二枚あって三段収納。下は棚板一枚の二段収納。この下の棚板を外し、上に持ってくることにした。棚板三枚の四段収納にすると、それまで重ねて収納していたコップたちが見事、独立を果たし、無駄なスペースの解消にも成功した。それで下の収納も棚板三枚の四段収納にしてやろうともくろみ、この計画は先週半ばに始まった。下の扉部分はもともと棚板一枚であったが、突っ張り棒をかまし、ダイソーで買ったまな板を棚板として、一応、三段収納にはしていた。このまな板のサイズが幅25.5×奥行35センチ。まず、棚ダボが必要となり、ストックをあさると、結構、あった。本棚などに使うダボはサイズが大きすぎて合わず、ひとつだけ見つけたおそらく食器棚の予備とみられる棚ダボを当てはめると、これがはまった。あてずっぽうで似た形のダボを近所のホームセンターで買ってきた。早速、取り付けると、大きすぎて合わない。これが5ミリ幅。続いてアマゾンで3.5ミリ幅を購入する。翌日、届いたそれをつけるが小さすぎてすっぽ抜ける。同じくアマゾンで4ミリ幅を購入。その間に棚板選び。まず、近隣のリユースショップを巡り、30センチ幅のキッチンボードが売られていないか確認。タイミングだろう。まったく見当たらない。近所のホームセンターに市販の棚板を見に出かけるが、奥行きが本棚サイズばかり。こちらも断念。棚板づくりから開始することにした。計測では横幅25.7ミリ×奥行はもともとのものが34センチ。35.5センチぐらいまでなら扉が閉まる。板を選ぶが、生来の吝嗇気質に加え、根がなんとかなるだろうという楽観主義にできているため、25×910の板を購入することにした。これが税込み877円。30×910が987円。この時点で100円けちったわけだが、さらにその先も計算してけちったわけで、25×910の板を木材カットサービスワンカット33円、ということはツーカット66円で済む計算。30×910ではスリーカット99円の出費となる。すべてはこの吝嗇気質と楽観主義がもたらした悲劇ではあった。帰って取り付けると、すっかすかで寸法が合わない。7ミリという誤差がこんなに大きいのかと悲劇を嘆いた。さらにどうせもっと必要だろうとアマゾンで注文しておきながらついでに4ミリ幅の棚ダボも買ってきた。これもすっかすか。慌ててアマゾンのほうをキャンセルし、今度は4.8ミリ幅の棚ダボを購入。翌日、届いたそれは今度は経が大きすぎて入らない。オーマイガッ。残る可能性は4.5ミリ幅。これはホームセンターには売っていない規格で、なぜか、それまで141円とか177円だったダボは4.5ミリだけ800円超えという驚異の価格。ダボはあきらめた。どうせ、板もすっかすか。心の隙間にからっ風。それで考えたのが、エル字型の棚板受けの可能性。可動性は失われるが、背に腹は代えられないと悩んでいるところへネットの朗報。そういうときはダボにマスキングテープを巻けばええが。そいつはええが。すぐと、それを試してみた。マスキングもあったのだけれど、手っ取り早く滑り止めの意味も兼ねて4ミリ幅のダボにビニールテープを裁断して巻いてみた。正解はひとつではないのだとまたしても世の中に教えられたのだった。こうして棚ダボの問題は解決した。足りないダボは3.5ミリ幅にテープを二重巻きにして対応。そこに25×34の棚板を乗せるが、やはり落ちる。もうすべてがめんどうになってきた。結句、ふたたび近所のホームセンターに出かけた。採寸ももともとの棚板を外し、きっちりやり直した。25.7センチ。ちょっと隙間ができるので25.8センチでいこう。30×910の板を購め、25.8×34センチのスリーカット。99円。板代987円。ダボ箇所をけずるため、ダイソーで彫刻刀を購入。さらに今回のダボの失敗を教訓にノギスも買っておいた。きっちりとダボ箇所に印をつけた板を削っていくと、一瞬で板が割れた。板を割らないよう中途半端に加工終了。取付完了。あらあかじめカットしておいた滑り止めを敷き、作業は完了と思いきや、ここから食器をパズルのように並べたり、引っぱり出したり、考えたり、疲れたり。食器棚が完成すると、25×34が二枚、25×23と25.8×23の板をどうするか勘案。棚を作ることにした。余った4.2センチ幅の棒を22.5ずつに自分でカット。ベランダで。もうこの時点で疲労はピーク。電ドラでねじ止めするが板が割れる。細いくぎを打つもすぐ取れる。最終的には板を割らないようにゆっくりねじ止め。それでも板が割れる。なんとかすべてを連結。棚がふたつできた。これをさらに連結するかどうか。割れた箇所を隠す意味もこめ、リメイクシートも貼る。今日はこれを仕上げる。

5月29日 朝

重信房子が懲役20年の刑期を終えて出所した。今後は病気治療に専念したいという名言を残し、生き恥の余生をわが国で過ごすことになる。20年というと2002年日コリワールドカップぐらいのころ、服役したことになるが、あのころ56歳だったおばはんは立派なおばあはんとなり、どちらかというと、重信メイのほうが社会的には有名なのではないか、と去りし昔日に思いの丈をぶつけてみたくなる今日この頃、ユーチューブでやくざの放免祝いをよく観ている。そのなかで岡山最大の組織の放免祝いがよかった。こちらも20年という長い刑期を終えて出所するのだが、20年という刑期もさることながら、その間、組織が存続しているという事実もまた興味深いものだった。一昔前は暴力団と呼称したものだが、昨今は反社会勢力という呼び名も定着し、弱体化の一途をたどる反社を取り巻く現状といえば、もうほとんど陽の当たらない影を極めた存在のようになってしまった。昭和の残影でいえば、たとえば大阪西成で育った若者の進路はとても狭く、一旗、揚げたければ、さらにその進路は狭まった。カネとコネと学歴と家柄と土地柄がないぶん、自分のストロングポイントを懸命に探さなくては道は開きようがない。容姿が端麗であれば、水商売を目指し、話術に自信があれば弟子っこ、運動神経が優れていればボクサー、とくに何もなければ反社にすがるしかない進路相談の相手もまた西成の住民なのであった。これがちょっとした下町であれば、事情も異なる。容姿が端麗であれば、芸能界、話術に自信があれば弁護士、運動神経が優れていれば野球選手、とくに何もなければ会社の社長などなど立身出世の横幅は広くなる。昭和の残影はやくざに対し、格別の想いを抱いていたといっても過言ではない。カリスマがいたし、資金源も豊富だった。令和の時代、そうした残影は見事に散った。若者は誰も反社に憧れないし、夢も見ない。ユーチューバーで稼ぐほうがよほど身になると知っているというか、悟っている。すべては情報なのだ。見えすぎた情報は夢を見せない。そんな社会情勢にあって、20年の刑期を終え、出所した組員には役どころも用意されていた。行動隊隊長、支部長。組織が存続しているだけでも奇跡のような現在で、この映像は胸に迫るものがあった。20年の獄中生活というものを想像するのも恐ろしいが、重信房子は20年を振り返ると短かったとも思えると出所会見で言い放った。人生は短い。これもまた生き方のひとつなのだろう。