4月29日 朝

ゴールデンウィークに入ってしまいました。最長で10日間。最短でなし。そんな格差の激しいゴールデンウィークにあって、いつも思い浮かべる歌がある。「五月晴れのゴールデンウィークは 海外旅行に湯煙めぐり 巷は愛の安売り 入れたり出したりスパーク だけどおれの気分は台無しさ 電話を取ればいたずら電話で ポストを見れば不幸の手紙さ ひとに恨みを買うような覚えはまったくないけど まったく背筋が寒くなる テレビのなかにはハッピー連中 誰かおれの不安を消してくれ ホテルにペンション別荘 こんがり焼けてがんになれ お前らみんな食い物さ」このような歌詞で展開される名曲、ノーキディング。日本語でいうところの冗談じぇねえ。かような想いを今年も抱えることになりそうで、だいたい土日祝日というものが勤め人を辞めて以降、本来、あまり好きではなく、外出はもっぱら平日であることが多い。土日祝日も出かけるが、人の移動に比して、どこも猥雑混沌無秩序の大宴会が繰り広げられており、特にエキスポシティやイオンモールといった大型施設では施設内を巡って楽しむ余裕など見る影もない。ゴールデンウィークという長期休暇ゆえに皆が皆、長距離移動をしているかというと、そんなこともなく、ただ単に長い休暇を近場のレジャーで済ませる家族連れも多い。これが年末年始やお盆といった時節とは異なるゴールデンウィーク独特の感傷で、冒頭の格差を感じざるを得ない近場の狂騒なのだった。思い起こせば、一回目の緊急事態宣言が4月のはじめに発出され、その年のゴールデンウィークはなきに等しいものだった。静かな5月だった。いつもならゴールデンウィーク明けは五月病だとか燃え尽き症候群だとか正常な人間ならば精神に異常をきたす時期なのだが、その年はあまり聞かれなかった。正常ではないと自他共に認める自分の場合、そのような症状が出た瞬間、責任感とか羞恥心とか理性とか社会性とか帰属意識とか打算とか良心とか義憤とか正義感とか道徳心とか瞬時に脱ぎ捨ててしまい、義理も人情も即座に踏みにじってしまうが、あの時期を境に正常ではないとされてきたこのような価値観が正常になりつつある雰囲気が漂いはじめた。借金でもなんでもしなさい、とにかく今を乗り切りなさい、といった危機意識からくる正常性のそれは転換だった。今年はまた正常性が揺れ動く。まるでシーソーとか天秤のようだ。人出が多くなり、世間が騒がしくなるこの一週間、読書に励もうと思う。プライムリーディングに町田康氏の未読本を見つけたので、とりあえずこれを読もう。