4月20日 朝

造幣局の桜の通り抜けに行ってきた。最終日ということで日当たりのいい場所の桜はもうほとんど葉桜になっていたが、それでも絢爛豪華とはまさにこれだ、と思わせる桜の魅力はまだ健在だった。今年の花に選ばれたのは福禄寿。たぶん二本か三本あった。色の濃い妖艶な桜で見事だったが、葉っぱが目立った。新品種の桜、伊予菊桜と暁鐘も見た。写真にも納めたが、実に名残桜らしい貧相さで、特に暁鐘を見たとき、思わず、うす、漢字で書くと、薄、といってしまった。桜というより柳みたいだった。花が満開で美しかったのは鎌足桜、松月、そして、定番の関山だった。ぜひ夜桜で見てみたいとおもった。満開の桜には写真撮影の人だかりもできているのだが、余裕で混ざることができた。全体に快適だった。気温のせいもあったのだろうが、なんでこんなに気持ちいいのか、なぜゆえここまですがすがしいのか、最初のうちは舞い上がっていることもあり、よくわからなかったが、途中で、例年に比べ、密集率が圧倒的に低いことに気づいた。人間が少ないのだ。いつもなら後ろから押されるような感覚があるのだけれど、自分のペースでゆっくりと見て回れるゆとりがあった。気温は人間が最も快適と感じる22度か23度ぐらい。外国人観光客のいない、さらに外国語のアナウンスのない美しい桜の通り道。束の間の蠱惑だったが、充分過ぎるほど満足してしまった。桜の通り抜けは帰ってきてからもまだ美しい。もらってきたガイドを眺め、余韻を楽しむのだ。妹背もきれいだったな、とか、朱雀もよかった、とか、ソメイヨシノもあったのか。たぶん葉桜で気づかなかったのだろう。その親である大島桜もあった。ちょっと検索してみよう。この葉が桜餅に使われるからモチザクラとも呼ばれる、か。なるほどな。勉強になるなあ。とか。そういえば、いつもは句を詠むスペースが用意されているのだが。今年はなかった。毎年、何かしら記し、投票箱に突っ込んでいるので少しさみしい。ここで詠んでもたろう。「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」解説しよう。「桜の花がまたたくまに色あせてしまった。春の長雨を眺め、ぼんやりと物思いにふけっているうちに自分も年をとり、容姿もおとろえていくのか。若いころはあれほど美しい、美しいといわれていたのに。むなしい」造幣局の桜の通り抜けが終わると、大阪の桜の季節も終わる。あとは札幌円山公園の花見ジンギスカンをテレビで観るぐらいだろうか。桜が終わった。藤もきれいだったな。ハナミズキは今も満開。来年もまた咲く。何歳になってもまた咲けばいいじゃない。小野小町の歌でした。