4月15日 朝
15日ということは四月も半ばに差し掛かったというわけで、もうすぐゴールデンウィークがやってくるそんななか、アゲハチョウを見た。春先はモンシロチョウのイメージでアゲハは夏のイメージがあったが、調べてみると、4月にはもう成虫が飛ぶ姿を見られるという。季節に合わせて紋様が変わっていくというが、無論、それは一匹の成虫による変遷ではなく、その都度、羽化する蝶を指し示す。越冬したさなぎが春、夏、秋とそれぞれ紋様を変えて成虫になるのだ。昨日、見たものは全体的に薄くかんじた。夏の朝などに見かけるアゲハ蝶はもっときらきら輝いているというか、色もはっきりと鮮やかで大柄な印象がある。夏のアゲハを芸妓とすれば、昨日の蝶は舞妓はんといった趣ではあった。何年かまえのちょうど誕生日の日、ベランダにアゲハ蝶が泊ったことがある。留まったとも止まったともいえるが、そのアゲハ蝶は本当に一晩、泊まっていったのだった。翌日の朝、カーテンを開けると、昨夜と同じ場所にいた。ベランダに植物の類はなく、むき出しのコンクリートと金属片しかないような場所に一晩、泊っていってくれたのはきっと誕生日を祝ってくれているのだろうと勝手な解釈にそのときは遠目ながらまじまじとその紋様を眺めたものだった。その日を境にしたわけでもないだろうが、アゲハ蝶は夏という固定観念がつきまとっていて、桜が散ったこの時期に見かけるのはなんか不思議な気がした。夏といえばせみ時雨だが、蝶のまばゆさもそれに比してまた短い。それで、思い出すのが銀河鉄道スリーナインというアニメで、鉄郎とメーテルは蝶たちが暮らす「蝶の夢」という星に降り立つ。そこは羽を持つ優雅な身分の人々と羽を持たない下賤な者たちを明確に区別し、共存する星だった。羽を持つ美しい少女クレハは見かけだけの華やかな暮らしや羽を持たないものを蔑み生きることにうんざりしていた。クレハは羽の持たない少年リフと共に生きることを決意する。それを押しとどめる羽を持つ婚約者ハンザ。やがて短い寿命が羽を持つふたりに終止符を告げる。「だからいっただろ、ぼくたちは楽しく華やかに暮らしていればそれでいいんだ。だって、すぐに終わってしまうのだから」花の命は短い。蝶を見かけると、いつもそんなセリフを思い出す。華やかな季節もまた短いのかもしれないが、その一瞬を生きる姿勢が蝶にはある。せみ時雨もまた生きた証なのだ。暑い夏がやってくるのはまだもうちょっと先だが、昨日はどこだったかが真夏日だった。今年も熱くなりそう。マスクで荒れそう。