4月14日 朝

不定期間隔で必ず見る夢がある。西村賢太氏の夢魔去りぬのようにその場所が特定できないわけではなく、はっきりとわかっている。それは以前、暮らしていたマンションの一室の夢だ。ただ、毎回、そのマンションの様相は変わっており、昔とまったく同じ姿というわけではない。あるときは平行移動できるエレベータが設置されており、それによって映画館に行けたり、サウナに行けたりする。街自体が変化していることもある。マンションの周りが異世界のショッピング街のようであったり、きらびやかな飲み屋街であったりもする。最も楽しいのはマンションの一階から11階までになんらかの店が入っている夢を見るときだ。8階が我が家なのだが、屋上が遊園地であったり、10階がビヤホールであったり、9階がスーパーであったり、5階にスーパー銭湯が入っていたりする。大阪市内に出かけたとき、帰るのがめんどうになり、このマンションに泊まるという夢を見ることが一番、多い。なぜか、合いかぎを今も持っており、こっそりと8階のその一室を使用するのだ。夢のなかでひどく焦燥感や切迫感をおぼえることもある。なかで寝ていると、管理人にかぎを開けられ、夢のなかで不正使用にびびっているのだ。昨夜、見た夢はこれを踏まえたものだった。例のごとく8階の部屋を今度は不正使用で待ち合わせ場所にしたのだが、一刻も早く、この場を立ち去らなければならないという思いと何か懐かしい感傷的な気持ちを抱えた感じでエレベータを使わず階段を上っている。すると、着物姿のおばあちゃんの後姿が見えた。声が聞こえる。もう疲れたとかそんなことを言っているようだ。顔に覚えはないが、どこかで見た気もする。8階にたどり着き、来訪を告げると、違う声が聞こえた。間違えて7階のピンポンを押していたのだ。8階に向かう。知っている声が聞こえた。夢はそこで終わったのだった。そのマンションは今もある。引っ越してからも何度かその街を訪れ、前を通ったり、外観を眺めたりした。8階の角部屋であるその窓にはカーテンがかけられており、何人かの「誰か」がその一室で生活するさまを想像したりもした。この夢を見たとき、もし何らかの感傷を抱えてしまっとき、いつも、決まって、同じメロディーが聞こえる。高橋真梨子氏の五番街のマリーへという歌だ。青春ではあった。