4月6日 朝
戦争犯罪という文字が飛び交っている。モザイクをかけられているが、実際に映像を見ると、これが現実なのだと頷かざるを得ない。ロシアの戦術が前時代的なのは当然として、情報戦においてももう目も当てられないというか、元々、得意だったハイブリッド戦も通用したのは過去の話であり、世界を敵にまわした2022年のこの時代ではなすすべもないという印象だ。指揮系統も機能していないのではないか。というのは戦争が長引けば長引くほど士気が下がることは先の大戦を見てもわかるように近年のイスラム諸国を取り巻く紛争を眺めてみても察知できるように今回も当初の腹案がもろくも崩れた時点で想定できた事態に思える。現場が暴走し、その果てに犠牲になるのはいつの時代でも武器を持たない非力な一般人だ。戦争のはじまるまえ、キーウ近隣ではじめて持つ銃器の扱いを練習していた市民の姿を懐かしく思う。これが戦争なのだと悲しく思う。戦争犯罪の実行者は残忍な年配部隊という記事があったけれど、恐怖心を植え付け、抵抗を弱めるという昔ながらの価値観が有効なのだと本気で信じているのだろうか。パレスティナを見ろ。北アイルランドを見ろ。歴史が雄弁に物語っているではないか。停戦合意がなされたとして、傷は怒りを伴い、ロシアへの報復へと人々を駆り出すことだろう。そう、敵はクレムリンにあり、なのだ。徹底抗戦ではなく、クレムリンを狙わなければ今や終結はない。翻って、そのときは世界が滅びる危険性も秘めている。対岸の火事は燃え広がり、国境を超え、さらなる火種を呼び覚ます。いよいよ第三次世界大戦の勃発が現実味を帯びてきたのかもしれない。考えるだけで気分が滅入る。想像するだけで怖い。いまある幸せを存分にかみしめて、生きていることに感謝するしかない。今朝は玄関を開けると、暖かい風が心地よかった。残虐なニュースに接したばかりだったので、近所の子供たちのはしゃぐ声にすくわれた気がした。空はつながっている。そういえば、海外旅行という表現を何気なく、なんの疑問も持たず、普通に使ってきたが、こんな表現をするのは日本人とか英国人とかぐらいかもしれないなあと背を伸ばす。今日もはじまった。