1月17日 朝

焼き肉の飲み放題で生ビール12杯を飲み干した。最後に芋焼酎のお湯割りで締めたので、計13杯となった。時間があれば、まだまだ飲めるのだけれど、80分ではこれぐらいが限界かもしれない。というのも1回目が13杯。2回目が11杯。3回目が9杯。昨夜が12杯で、だいたいその頃に残り時間が5分とか表示されるからだ。結構なハイスピードで呑み進めているつもりだが、焼き肉を食べながら焼きながら裏返しながらというのがいけない。ビアホールで呑むのとは飲み方がちょっと異なる。されど、飲み放題料金が税込み1300円。生ビール一杯が290円だから、12杯で3480円。充分すぎるほど元は取っている計算になる。そのうち、出禁になるかもしれない。生ビールを今以上に飲んでいたころに通っていた店で覚えているというか印象深かった店はニューミュンヘンというビアホールだ。神戸アメリカ村で服屋の店員をしていたころ、そこのオーナーに連れて行かれたのが最初の出会いだ。まだ未成年だった。天井が高く、きらびやかで、とにかく広かった。運ばれてくる料理の数々はどれも大きくボリュームがあった。ビアジョッキも昨今、主流になりつつあるスリムジョッキなどはなく、一番、量の少ないものでグラスビールだった。そんなものを飲むのは気取った女性ぐらいなもので、そんなものを飲むならこんなところに来るなというような風潮が色濃く残っていた。そこで最も大きなジョッキがデラックスジョッキというもので、それを2杯は余裕で呑めた記憶がある。ビールを水みたいに飲むといわれ続けてきたが、昔はみんな水みたいにビールを飲んでいたのだ。ミュンヘンのから揚げと生ビール。これさえあれば、毎日、眠い目をこすってでも仕事をがんばれるのだった。ピーク時は午前11時から8時まで休みなしで働いて、週三日、午前0時から5時まで水商売のバイトをするという生活をしていた。0時から5時までカウンターのなかで働いて、11時から8時まで、また立ちっぱなしで働いて、それからミュンヘンに行くと、もうジョッキ2杯ぐらいで眠くてしかたなかった。当時は自分の本当の酒量というものを知らなかった。いまは知っている。ワインならフルボトルで4本。日本酒なら2升。生中なら20杯。焼酎なら2日で1升。ウイスキー、ブランデーなら1本弱。しかしながら、日々、ここまで飲むのは焼酎ぐらいなもので、適当に切り上げてとっとと眠るというのが正解ということも併せて知った。三宮のミュンヘンを神戸アメリカ村で貸し切って、忘年会か新年会をやったことがある。毎月、こういったイベントが用意されるのだが、費用は会社持ちといういい時代だった。その次は豪華クルーズで船内貸し切りパーティというさらにゴージャスな催しが企画されていた。開催日は1月21日とかそれぐらいの日だったと記憶している。結局、それは中止になった。地震が発生したからだ。1月17日。午前5時46分。すさまじい揺れで目が覚めた。上のほうから掃除機が降ってきた。最初、ポルターガイスト現象だと思ったことをうっすら覚えている。当時から20数年にわたりボランティアをしている男性も今年で終わりにするという。関東大震災の追懐のようにもう大規模な慰霊も潮時かもしれない。
posted by せつな at 07:23Comment(0)日記