1月15日 朝
鼻うがいしながらニュースを聞いていたら絵馬を買ったをレバーを買ったと聞き間違えた。すぐに絵馬と気づいたが、そうか、今日はセンター試験の日だった。現在は大学入学共通テストといい、その昔は全国共通一次試験といっていたこれで何が決まるのかいまだよくわかっていないこのテストを自分は受けたことがなく、緊張感、および決意、心構えといった受験生の気持ちに寄り添うことができない。もうかなり前になるが、天満にあるケンタッキー・フライド・チキンのカーネルおじさんがこの時期になると、法被を着て、必勝鉢巻をつけるのを見て「ついこの前までサンタさんだったのに」という感想を持つのが常だった。この感想は四年ほど続いた。社会人大学生をしていたとき、天満がスクーリング会場だったのだ。遅まきながら大学で経営学を学んだ人間にとって、大学の試験の結果で人生が決まる、という謳い文句をにわかに信じることができない。人生を決めるのは大学ではない。と嘯く諦観ぶったホームレスはいるだろうし、超高学歴を持つ警備員も存在する。人生を決めるのは自分だ。と夢という名の野望を追い続けるモリアーティ教授のような教授もいるだろうし、東大を出て芸能人になる奇特な女優も存在する。高校の卒業式に卒業証書を破り捨て、その日のうちに上京する永ちゃんマニアもいるかもしれないし、夜間中学で学ぶ上場企業のシーイーオーというおじいちゃんも存在するかもしれない。もし、という前置きで受験生が「一年間が水の泡」とテレビで言っていたが、80年間が水の泡という人生もそうはなくて、一週間が水の泡とか、果たして水の泡ってなに、と調べてみると、はかなく消えやすいもののたとえとある。そんなときは涙の数だけ強くなると信じて島倉千代子さんの人生いろいろを合唱しましょう。「バラもコスモスたちも枯れておしまいと~ねえ、おかしいでしょ若いころ、ねえ、滑稽でしょ若いころ~人生いろいろ、男もいろいろ、女だっていろいろ咲き乱れるの」咲き乱れてこその人生。そう考えると、やっぱり何がしたいのか、という答えに行き着く。大学を出なければ咲かない花なら、大学に行って見事に咲かせてみせなさい。経験からして、努力は弾けた無駄あぼーんお手上げギブアップ降参屈服帰伏投降断念観念ご勘弁でバラは枯れたと思っていたらどこか違う場所でぶくぶくと泡立ち始め、なんとそこにはコスモスが。などと違う花を咲かせることが往々にしてある。朝、天気予報を見ていたら、路面が凍り付いてツルっとしてしまう恐れがありますと言っていた。大学受験とかけまして、お笑い芸人と解きます。その心は。すべるのは困ります。