1月12日 朝
迷惑がかかるわけでもないのに他人を批判したくなるとき、たいてい自分の持つ物差しの長さが短いことに端を発する。翻って、直接的に迷惑がかかる場合。これはもう価値観の相違とか異なる環境とかそのような複雑怪奇な要素は関係なく、単純明快に社会に迷惑だから、とか、自分に迷惑だから、とかの理由で、批判は加速化する。なかには誹謗中傷に発展したり、暴力に訴えるパターンもある。ここまでくると、起因がなんだったのかすら明確化できないこともある。冷静さが必要となるのは当然だが、明示的に論点を双方で理解しておかなければならない。今回のジョコビッチの入国拒否の報道に触れて、かようなことを考えたわけで、ワクチンを打っていない人間に対して寛容な社会というものを形成すべきではないとも考えた。なぜなら、迷惑だからだ。体質とか思想とかアレルギーとか副反応とか無理解とか差別とか接種を望む望まないとかメリットとかデメリットとか、そんなことはどうでもいい。論点はただひとつ。迷惑なのだ。ワクチン未接種者、イコール社会に迷惑をかける者。ならば、ワクチン未接種者は反社会的勢力とみなしていい。反社の人間であるという認識があれば、権利を制限されたとしてもそれは致し方ないことで、外食どころか、外出もやめてほしい。出国などもってのほかで、入国に至ってはもう全力でこれを阻止しなければならない。近年、ますます困難化しつつある反社チェックだが、ワクチン反社のひとはわかりやすい。接種証明アプリが反社チェックに有効だからだ。厚生労働省のホームページにある新型コロナワクチンQ&Aにこう書かれている。「Q 新型コロナワクチンの接種を望まない場合、受けなくてもよいですか」「A 接種は強制ではなく、あくまでご本人の意思に基づき接種を受けていただくものです」このていたらくだ。さらに職場におけるいじめ、いやがらせなどに関する相談窓口があり、偏見、差別事例に関するうんぬんを参考資料として紹介している。反社推奨とおもわれてもしょうがない。フランスではマクロン大統領がワクチンを接種しない人間に対し、社会活動を制限し圧力をかけると意気込んでいる。日本でも今後、議論が紛糾しかねないワクチン未接種者に対する扱い。これを社会の分断と呼ぶかどうかは自分の物差しだが、その先にある未来は自分の物差しでは測れない。迷惑が論点だ。ジョコビッチ氏の家族が会見で擁護していたが、論点がものの見事にずれていた。論点はテニスではない。論点は迷惑か、迷惑じゃないか。それだけだ。