1月11日 朝

久しぶりに今宮の10日戎に行くと、その人混みに圧倒された。金輪際、混雑した空間に入り込むのはよそうと決意したほどだ。圧迫感からいえば車の渋滞のほうがはるかにましだと思った。例年であれば、今宮戎神社を皮切りに南海電車沿いになんばまで屋台が連なっているのだが、コロナ禍で今年もなかった。店がなんにもないので、リニューアルした木津市場を覗いた。見事に変わっていた。リニューアルしてから結構、経つのだが、訪れたのは今回がはじめてだ。大国町に住んでいたころ、こんな施設があったら引っ越していなかったかもしれない。女の子ひとりでは歩けなかった高速の下の裏道もパーク通りと名称を変えた。全体的に明るくなった。今宮のえべっさんにお参りしたあとは木津の大黒さんに立ち寄るというのが、このあたりの通例なので、行ってみると、こちらもすごい人だかりだった。境内に入るのはまず無理というわけで、以前、暮らしていたマンション周辺を散歩しながら新世界まで歩いた。普段の数倍の人出のせいか、意外に近く感じた。新世界や天王寺界隈は相変わらずだった。日曜や祝日の夕暮れ、いつも感じることなのだけれど、本当にいろいろな過ごしかたがあるなあ、と感心するというか、愛おしいというか、明日からまた仕事なのかなあというか、フランフランで皿を物色する男女やスタバでテーブルに突っ伏して眠りこける学生風の男やあべちかの天丼店で頭を抱えるスキンヘッドの白人やてんしばでペットと戯れるおばはんやてんしばで寝転がる子供やオープンエアのテラス席で会話に夢中の男女混成グループや缶チューハイを片手に寒空の下で運命をなげく白髪の酔っ払いやジャンジャン横丁で射的に講じる家族連れや地下鉄の車内の前の席でスマホを弄るお姉さんや黄色くなった福笹を抱えるおじいさんや新しくもらった福笹を携えたおっさんや梅田のデパ地下で漬物か和菓子を買ったと思しき推定身長130センチのおばあさんを見て、さらに焼き肉に舌鼓を打ちつつもお気に入りのコートと白のタートルを着ていたことを思い出し、激しく発狂しながらそれでも生ビール8杯か9杯を肉とともに平らげ仕上げに芋焼酎のお湯割りで締めた自分を含めて、複雑で単調な人々の休日の終わりに、そのなかのひとりを演じる者として、また、ひとつの真理に至ったのだった。すなわち、これこそがあれこそがそれこそが人生であると。有名無名貧困富豪性別容姿職業稼業門地血統出自家柄住居都道府県外国愛国売国憂国に関係なく夕刻は訪れる。夕刻が訪れるとやがて夜になる。そして、朝を迎える。きっと、それだけのことなのだと思う。のこり福をもらい、今日もふくよかにふくふくと過ごしましょう。朝から冷たい風が吹きますが、ふく風もありがたいわけで、マルフクの服を着て服を拭く。
posted by せつな at 08:09Comment(0)日記