1月22日 午後

誰があなたを護るのか――不安の時代のすめらぎ、という本を読んだ。天皇制を考える解説本で前半ページが漫画。後半部分が漫画のストーリーに沿って、それぞれ詳しく言及を加えるというスタイルを取っている。漫画は課長島耕作や加地隆介で知られるヒロカネプロダクションが担当していて、いまでもビックコミックスピリッツで黄昏流星群を読んでいる者にとっては絵がとっつきやすい。まず、京都御所について触れている。行ったことがあるひとはわかるとおもうが、京都御所には守りがない。通常、高い石垣や堀といった防御で周辺を固めるというのが定例であるし、イギリスのエジンバラ城はさらに大砲が置かれている。天皇陛下のお住まいである京都御所にはなぜ石垣や堀がないのか。皇居は堀や石垣で守られているではないかと素朴な疑問を浮かべるあなた。いい質問だ。皇居はもともと徳川将軍のお城だったからだ。どこのお城も王様や殿様を守っている。なのに、何度もいうが、京都御所には守りがない。その理由を紐解くと、天皇陛下の民を思うお姿が見えてくる。時代は難波高津宮に遡ることになる。皇紀1058年西暦398年。まだ元号のない時代だ。この時代の天皇陛下は仁徳天皇であり、めちゃめちゃ大きな古墳で有名なことは教科書をちょっとかじった人間なら知っているとおもう。ということは日本人なら知っていなければならないということで、仁徳天皇陵は面積ではピラミッドを超える。ということは世界最大のお墓ということになる。秦の始皇帝のように莫大な権力を保持し、莫大な支配力を背景に莫大な資金力を誇示するために果たして民につくらせたのか。答えはノー、だ。不作の年が続いたある年の夕餉の時間、民の家のかまどから煙が立ち上っていないのを不思議におもった仁徳天皇は配下に訊ねた。理由は作物が取れず、民が貧しくてかまどで煮炊きができないというものだった。仁徳天皇はそのときにすぐに決断した。「そうか、では今後、3年間、課税をやめる」配下のふたりは顔を見合わせた。「税を取らないのですか?すると、陛下と我々はどうやって生活を?」「我々自身でも作物を作るのだ」配下の者たちは困りつつも従うしかなかった。明日に続く。
posted by せつな at 14:18Comment(0)日記

1月21日 朝

大寒の日の朝はクリームシチューと決めている。それで、前日から仕込んでおいたのだけど、豆乳でつくったせいか、いまいちだった。今日は粕汁をいただく。寒い日が続くが、工夫して乗り切ろうと思う。工夫といえば、不愉快なことに対する工夫というものがあって、この工夫というものをその昔「ニューヨークの24時間」という本から学んだ。この本から多くのことを学んだが、24時間の最後のほう「第六章、夜」のはじまりは不愉快なことを追い出すことからはじまる。著者である千葉敦子氏はフリーランスなので、自らがいうようにたいていの人に比べて、ずっとストレスの少ない生活をしている。されど、ライフスタイルには向き不向きがあり、フリーランスがストレスになるひともいるから一概にはいえないが、人と関わる仕事が多い人ほどストレスは生み出されやすい気はする。「日常生活の怒り、苛立ち、心配、不安、後悔、罪悪感、失望といった不愉快な感情が意外に多くの時間を私たちから奪っている」と著者はいう。いつ引かれたのかわからない蛍光マーカーが次の文章を照らし出している。「せっかくの貴重な時間を、こういう不愉快な感情に与えてしまうのは愚かな話です」「この不愉快な感情は時間を奪うだけでなく、疲労の原因にもなります」「不愉快な感情を早く頭と心から追い出すことが、心身の健康にとっても、大事だと思います。この怪物に頭と心を占領させておいても何の解決にもならないからです」解決法がふたつ示されている。ひとつは「何か好きなことに没頭する」ふたつめは「紙にこと細かく書き出す」このふたつで何が生まれるかというと本が生まれる。「不愉快の感情を時間泥棒にさせておかず、そこから本を生み出すことさえできるのです。仏頂面はやめましょう」「時間を有効に使うためには精神環境を整えることも必要なのだと思います」と著者は結んでいる。これはとても教訓めいていて、怒りも感情の揺れ動きなので、この揺れ動きを利用すると、なにか別のものに転嫁できたりする。デトロイトメタルシティの主人公は変装前の素顔時に受けた数々の試練を「恨みはらさでおくべきか」という作品に仕上げる。ピカソは祖国スペインへの爆撃をゲルニカという大作に昇華した。嫌なことは悪いことではないとおもう。数年前のベストセラーにもあったが、すべて、かすり傷なのだ。傷はやがて癒える。そのまえにその傷を利用して、何かひとつのものを作り上げる。これはエピソードであり、芸人ならネタやトークに使える。作家なら主人公の体験談にしてもいいし、バンドマンなら作詞に使える。ラーメン屋なら珠玉の激辛ラーメンが完成するかもしれないし、うどん屋なら激コシうどんがブームを巻き起こすかもしれない。ネーミングは鬼コシうどんなどいい。ちなみに鬼のコシと鬼が腰を抜かすがかかっている。自分の場合は時間のあり方というものがすべてだ。時間を有効活用するため、精神環境の整備は不可欠。の前に不愉快な感情を抱えたまま、精神環境が整うまで、その時間はニッチかルーティンに充てる。怒っていてもジムで身体を鍛えるし、走る。料理をつくる。洗い物をする。本を読む。ネットをする。散策する。ギターの弦を張るといった何も考えなくともできる作業に没頭する。リメイクシートが剥がれてきたので今日はそれを貼り替えることからはじめる。そのうち、不愉快な感情は蚊に刺されたと思えるようになる。これは岩井志麻子氏のデビュー作にあった言葉だ。「虫に刺されて本気で怒るひとはいますか」蚊に刺されて本気で怒るひともなかにはいるかもしれないが、ほとんどいない。だって、蚊だもの。虫だもの。不愉快な感情は時間泥棒。不愉快な感情を利用して別の何かに転嫁する。だいたいその二点を考えることで解決する。
posted by せつな at 07:58Comment(0)日記

1月20日 朝

一流のプレイヤーやパフォーマーであっても一流の家庭人ではないのだなと実感するニュースを立て続けに見た。映画ゴッドファーザーでドンコルレオーネは家族の大切さを力説する。家族を大切にできない男は男であって、男ではない。というようなセリフが出てくるが、ゴッドファーザーは何度、観てもその都度、教訓を得ることができる稀有な映画だ。サッポロ一番に例えると、スリーがしょうゆであることは誰もが認めるところであるが、果たしてワンが味噌なのか、それともツーが味噌なのかは意見の分かれるところであると思う。しかしながら、どちらかが塩であることは間違いなく、ここから答えの出ない塩、味噌論争へと発展する。サッポロ一番塩派とサッポロ一番味噌派の喧々諤々の議論。マーロンブランドかロバートデニーロか。ワンとツーは置いといて、スリーにスポットを当てると、こちらは割とわかりやすい。スリーを観ると、いつも必殺仕事人を思い浮かべてしまって真面目に観ることができない。全般的にひどいが、それでもアルパチーノひとりのおかげで、重厚感はひとまず保てているといった具合。ただ、ソフィアコッポラが撃たれるシーンのアルパチーノはその後の彼を予見させるというか、大げさでオーバー。某監督は某大物俳優に何度もダメ出しをして「監督、私の演技のどこがだめなんでしょうか?」と質問する某大物俳優に向かって「おっさん、くっさいねん」といったらしいが、アルパチーノの傑作、スカーフェイスから数年の月日を経て、あの演技は完成の日の目を見ることとなる。最近は毎日のように映画を観ている。BGMがわりに特によく観ている映画はミッションインポッシブルシリーズだ。最新作である第7作はコロナの影響で遅れに遅れて、今年の9月に上映される。たぶん。今から楽しみでしょうがない。現時点での最新作、フォールアウトがとにかく凄すぎて、これを超えるとなると、あのバイクジャンプになるのだろうな、とちょっとだけ公開されている第7作の予告にすでに興奮している。結局、ローグネイション、ゴーストプロトコル、フォールアウト、ワン、ツー、スリーと順不同にすべて観てしまった。何度、観てもおもしろい。ゴッドファーザーとは真逆のおもしろさだが、おもしろいものはおもしろい。ワイルドスピードの最新作もおもしろかった。映画は教訓に溢れている。パワハラする前に映画を観よう。旅をすると、人にやさしくなれる、といったのは作家の花村萬月氏だが、映画は似た効用がある。いい映画を観ると、人にやさしくなれる。悪い映画は逆。腹が立つから、人にあたる。今日もいい映画を観よう。
posted by せつな at 07:06Comment(0)日記