1月25日 朝

芸能界にコロナが広がっている。というか世間にコロナが広がっている。というより世界にコロナがあふれている。このような状況でひじょうに風邪っぽい症状がボクを悩ませる。というか、こらもう風邪やろう、と。まず、喉が痛い。頭が痛い。咳がでる。これにフシブシの痛みが加われば、経験上、風邪かインフルエンザの序章がはじまる。インフルエンザなら高熱。風邪なら微熱。体温は腕時計のほうは36.2で、おでこで計るやつは29.6度とか出る。真実がつかめない。ちなみに1000円で買ったチャイナ製。たぶん熱はまだない。意識はしっかりしている。オミクロン株の報道でいちばん知りたいことは感染者数でも重症化率でもなく、その症状であり、ただの風邪なのかコロナなのか早く知りたい。もうこれはどこかでピーシーアール検査を実施するしかないだろうと先ほどからヤフーの五の付くデイに合わせていろいろ検索している。テレビでは検査キットが品切れ続出といっていたようにネットでもランキングの上のほうに表示されている。ピーシーアールではないが、抗原検査キットが800円で売っている。通常、世間で品切れ、ネットのランキングで上位、という場合、注文できても届くのは2週間後、とか、予約販売的なことが多く、これはどうだろうと調べてみると当日発送とある。さらに自治体によっては無料で受けられるとかも聞くので、こちらも調べてみようと思う。オミクロンであれ、デルタであれ、コロナであれば濃厚接触者とか自宅待機とか保健所とか隔離とか入院とかもうなんかネガティブなイメージしかないので今から恐れ戦いている。重症化が少ないからマンボウはいらないという意見をよく聞くが、風邪が流行れば学級閉鎖があるようにやはり蔓延させてはいけないと最近は思うようになってきた。重症化うんぬんではなく、罹患すれば頭数が減るのだ。ワクチン2回接種も済ませたし、ビタミンcも通常の三倍は飲んでいるし、鼻うがいも毎日しているというのに。なんでだろうなんでだろうなんでだなんでだろ。うー、まんぼう。
posted by せつな at 09:50Comment(0)日記

1月24日 朝

昨日、ワイドナショーを観ていたら、前澤ゆうさく氏が出演していた。宇宙生活のエピソードを語ったあと、最後に、これからやりたいことを三つ挙げた。印象的だったのは世の中からお金をなくしたいというもので、宇宙に行って、この思いはより強くなったという。お金のために働く。という価値観にとらわれると、マルクスの資本論に行きつく。松ちゃんが「お金をなくすと、手を抜いちゃう」的な発言をされていたが、この発言の根底にはかつての社会主義の失敗を目の当たりにしてきた世代特有の視点が影をひそめている。小林多喜二の蟹工船やちょっと前に世の中を席巻したピケティの新しい資本論は結局のところ、富を持つ者と持たざる者の比較において有効なだけで、そもそも人間を語るうえで、これからの社会にはあまり役に立たない。「お金2.0新しい経済のルールと生き方」という本を読んだ。著者は佐藤かつあき氏といい、フォーブス「日本を救う起業家ベスト10」AERA「日本を突破する100人」30歳未満のアジアを代表する30人などに選出された人物だ。第1刷発行が2017年11月なので、新型コロナが世界を襲う少しまえの主張となる。結論からいえば、お金は単なる道具である、ということで、お金は資産でもなんでもない。土地だって生きている間のマーキングに過ぎない。あれこれ集めた蒐集品も世代が変われば持ち主が変わるだけ。そうやって名刀や名画は残っていく。お金2.0で語っている3つのテーマを挙げるとすれば、それは仮想通貨、ブロックチェーン、トークンエコノミーということになる。デジタルネイティブからトークンネイティブへ。2017年といえば、もしかしたらビットコインで億り人が続々と誕生した年かもしれない。本書をまとめるには時間が足りない。前澤氏の世の中からお金をなくしたいという夢は意外に早く実現するかもしれない。少なくとも現金とATMは早々になくなるだろう。お金で働くのではなく、価値観で働く、という考え方もそのうち浸透する。お金はAIやロボットに稼いでもらえばいい。もちろんAIやロボットのモチベーションはお金ではない。数字だけがあちらからこっちへ、こちらからあっちへ動く世界。これはもう個人的にはかなり実現した。生まれたときからスマホがある世代が世の中を動かす。意外と早く実現させるためには高齢者をどうにかするしかない。バブル脳もいらない。200年に一度のエレメントの変わる時期。もう変わっているかも。
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1月23日 朝

誰があなたを護るのか――不安の時代のすめらぎ、という本を読んだ。仁徳天皇が民の暮らしぶりを見て、3年間、無税にすることにしたところまで昨日は書いた。その結果、どうなったか。当然、民の暮らしぶりは上向いてきた。3年前とは違い、それぞれの家から煮炊きの煙が上っている。仁徳天皇はその間、どのように暮らしていたかというと、税金を取らないので必然的に民と同じ暮らしとなる。着衣は破れ、食事も質素というよりは粗末だ。民の暮らしぶりの報告を受けた陛下はそれを喜び、さらに三年間、無税を続けることにする。税金がないので陛下のお住まいである宮殿も屋根が破れてしまっていた。さらに3年後、6年も無税にしてもらったお返しと称し、町のひとたちが誰に命じられることもなく、仁徳天皇の宮殿を修理する姿が見られる。「6年も無税にしてもらったからお返しをしなきゃあな」「そうだよ、せめて宮殿の修繕をして差し上げて恩返しをしよう」与えるとは与えられることなり。現代では当たり前となったごく自然なこういった考え方を仁徳天皇は完全に理解していた。そのことが日本書紀に記されている。朕すでに富めり天の君を立つるはこれ百姓のためなり百姓が富めるは朕が富めるなり。日本書紀には実際に民が自ら進んで仁徳天皇の宮殿を直したと書かれており、ほかにも新田開発や治水工事も進められたとある。京都御所に石垣や堀がない理由がこれでうなづける。日本の天皇陛下は西洋の王様やシナの皇帝とは違い、私利私欲で民を支配した歴史はない。守られる存在というより国民を護ってくださる聖なる存在であり、誰からも襲われる心配がなかったからこそ、京都御所には守りがない。難波宮の跡地は現在は公園になっていて、今もその名称が残っている。そこで何時間か時を過ごすと癒される。悠久の風が感じられる。天皇陛下は祈りの存在である。そのことを深く自覚するエピソードとして日本書紀の民の竈という故事に倣うことができる。天皇陛下を識ることは日本を識ることであり、ひいては自分と自分の家族を知ることである。この本は扶桑社から出版されている。価格は1760円。漫画なのでわかりやすいが、内容は濃かった。
posted by せつな at 08:04Comment(0)日記