1月31日 朝

1月が終わる。週末は立春。いよいよ春がやってきた。というわけで、春になると、したいことはなんですか。ザノンフィクションでやっていた「結婚したい彼女の場合」それは一にも二にも結婚ということになる。この回をなぜ知ったかというと、東野幸治氏のラジオを文字に書き起こしたテクストを見て知った。たまたま面白い関東ローカルを見つけたという。「結婚したい彼女の場合 コロナ禍の婚活漂流記」テクストに興味が沸いて、動画が上がっていたのでざっと観た。あとでゆっくり観る。ざっと見た感じでは2年ぐらい前までは結婚にそれほど重きを置いていなかった30歳のミナミさん。それが昨今のコロナ禍で孤独を深め、結婚して楽になりたいと考えだす。ここ、ミソ。結婚して幸せになるのではなく、楽になりたい。当然、ひとによって幸せと楽の定義はそれほど違わないこともあるだろうし、それを批判するつもりは毛頭ない。毛頭ないが、結婚というものは二人の支えあいであり、たとえば剣道の試合のように一本とって終了とかそういうものではない。ミナミさんの容姿をひとことでいうと、もてる感じではない。結婚相談所の所長ももてる感じではない。その二人のケミストリーな反応が物語を神回に仕立て上げているような印象を持ったが、あくまでざっとなのでこの後が楽しみでしょうがない。ミナミさんは恋愛をしたいわけではない。本気の恋愛というものもよくわからないという。あくまでしたいのは結婚。結婚したそのあとの想像力は皆無にひとしい。結婚さえできれば、それは華々しいゴールであり、昨日は大阪国際女子マラソンにくぎ付けとなって、まつだみずき選手に絶叫の応援を送り、ゴールテープを切った瞬間、2時間20分台の大会レコードにまたことさらに感動して、これこそゴールだなあとしみじみしたが、こんなゴールの瞬間がミナミさんの目指すものだ。結婚からスタートするというごくあたりまえのイメージがない。もうすぐ春ですね。恋をしてみませんか。というキャンディーズの歌声はおそらくミナミさんの胸には響かない。後編、どっかにあるかな。
posted by せつな at 09:53Comment(0)日記

1月30日 朝

髪の毛をピンクにした。ひじょうに気に入っている。自分で染めたのでブリーチ二回分とヘアカラー。計1500円程度で完成した。春を迎え、気分を新たにヘアスタイルも一新する。今年の冬はチェスター一辺倒だったので、もう少し暖かくなれば、このヘアカラーに合うスタイルを模索しようとおもう。アマゾンで売り切れる前にスキニーも買っておいた。これで同じスキニーの色違いが5本になった。ボディメーカーに寄って新しいトレシャツも買った。気分を変えるには服装から。いまだ不変の法則は年齢を重ねても生き続けるというか、むしろ、年齢を重ねても億劫がらずに変わっていくことで法則に差がつく気がする。靴にしろ、いろいろ持っているくせに草履が楽なので、昨年の夏は草履しか履かなかった。これではいけない。今年は無理してでもローファーを履くか、せめてスリッポンを履く。気合を入れてドクターマーチン、は、さすがに履かない。ここで10時になったので、ワイドナショーのオープニングを観た。松ちゃんがコロナ患者の濃厚接触者となったため、急遽、白羽の矢がものまね芸人のJPに突き刺さった。松ちゃんの代役がJPということで、東野氏も原口氏に変わっていた。ダウンタウンとともに生きてきた人間にとって、その存在から最も大きな教訓を得たとすれば、それは「ハプニングはおいしい」というもので、思い返せば、お笑い芸人全般にいえるが、特にダウンタウンにはその指向性が強かった気がする。サザエボン、パパパパパフィー、ガキの登山、予期せぬ偶然の事象がお笑いにつながり、別の何かに漂着する。漂着した事物が時代を彩り、そこにはもう違う世界観が広がっている。一過性のムーブメントもあれば、定着したキャラクターやアイコンもある。一般人の多くはハプニングを恐れる。予定調和の延長線上にハプニングはトラブルであり、さっさとくだらない仕事を終えて、風呂に入って、冷たいビールを飲むためにはハプニングはじゃまでしかないのだ。ハプニングを紐解くと、思いがけない出来事、突発的な事件、とある。ハプニングはチャンスなのだ。そうとらえると、すべての事象がありがたい。ダウンタウンから学んだ多くのことの最も重要な部分。ハプニング大歓迎。
posted by せつな at 10:21Comment(0)日記

1月29日 朝

喉の痛みが微かにやわらぐと、今度は歯茎が腫れた。ベイベ、ベイベ、こんなことってあるのかい?道化師になった気分だ。道化師ってなんだろう。左の歯茎が痛くて噛めない。熱が出て食欲がなかった。呑みこめなくて食べることが苦痛だった。今は噛めなくて食べるのが苦痛だ。仕方ないのでプロテインとサプリに頼って、なんとか体調をキープしている。昨日は二日ぶりにジムで走った。軽く筋トレもこなした。病み上がりだからかボーっとして集中力が続かない。それでも20分は走って汗をかくことができたので結果よしとしよう。そんななかにあって、熱で朦朧としているときも酒だけは欠かさなかった。当然、量は減るのだが、飲んでいるという事実を以て病魔を凌駕しているという感覚が好きなのだ。味はしないのだけど。こういうときのなぐさめはやはり絵だろうと先日のメトロポリタン美術館展の目録を引っ張り出してきて、ひとり悦に浸っていたりする。今度は東京六本木に場所を移し、来月2月9日から公開と相成るわけであるが、今、思い出しても至福のひとときだった。感染爆発の東京都、しかも六本木という日本有数の繁華街で開催されるわけだけれど、見に行く人は見に行くのだろうなあと遠い目。わずか3か月か4か月足らずの公開期間。おりこうさんはまんぼうが明けてからゆっくり見に行こう、そうだ、ゴールデンウィークを利用してもいい、家族みんなで絵画に親しもう、そうだ、そうだ、とキャッキャと喜び合う様子が雲の上から見て取れる。果たして物事はそんなに簡単なものだろうか。そんなに世の中、大あまなのか。もしかしたらまんぼうは明けないかもしれない。延長するかもしれない。あるいは感染がさらに急拡大して緊急事態宣言が発出されるかもしれない。入場制限を考えると、ゴールデンウィーク中の混雑も避けなければならない。絵を見に行く最適な日なんてないのかもしれないが、2月から5月終わりまで。美術館に行く時期としては最高かもしれない。これだけを見に東京に出かけるのは酔狂だろうか。とわが身に問うが、酔狂がきわまってボッティチェリの絵が52億円で落札された。作品は「悲しみの人」キリストは実在したのだと敬虔な信者であれば号泣したくなる絵だ。ボッティチェリといえば、いつもサイゼリヤで眺めている。これでも30万ぐらいはするのだろうなあと思いながら眺めている。52億円の絵というものがどのようなものか。ここまでくると、カネは本当に道具だということを実感する。おカネを超越した世界があるのだ。
posted by せつな at 10:22Comment(0)日記