6月26日 朝

じゃりン子チエまでがんばるぞとおもったら今日は土曜日。目標は正義のミカタだ。朝のこの時間を活用して夢への架け橋を準備したり、日々の厄介ごとを片づけたり、掃除をしたり、食材整理したりする。多くは食材整理の時間に充てられる。ひとによっては調理と呼んだりもするが、どちらかというと、食材整理のほうがしっくりくるので、こう表記するのだけれど、おもえば、この言い回しは映画、南極料理人に感化されたからだった。ゴッドファーザー、竜二、麻雀放浪記、ヒートのように人生の岐路に立ったとき、観たくなる映画もあれば、なにも考えたくないとき、癒されたいときに観たくなる映画がある。その筆頭に挙げられるのが南極料理人であり、ほかにはめがねとかもある。南極料理人は原作も持っていて、たまに読み返すのだけれど、映画には実際に完成した料理が並ぶので、見ごたえがある。映画と原作を比較すると、やはり、ボリュームが異なるので、映画が原作を超えることはほとんどないのだけれど、こと、料理をメインにした題材は映像に分があるような気がする。南極料理人の醍醐味はなんといっても極限環境での隊員たちの暮らしぶりで、宇宙生活や深海の潜水艦生活を覗きみるような楽しさがある。思い浮かぶかぎり、料理名を列挙すると伊勢海老のエビフライ、具沢山おにぎりと豚汁、ローストビーフ、かに、ブリの照り焼きなどがあり、なかでも最後の夕食でふるまわれるラーメンのシーンは圧巻だった。あのシーンを観て、ラーメンを食べたくならない人間はいない。ラーメンと書いて、神と呼ぶ、ひともたまにはいるかもしれない。南極ほどの僻地ではなくとも、こういった環境下に置かれてしまうことはたまにある。コロナ禍の自粛生活は似た環境下だったかもしれない。ラーメンを欲して、それがないとき、ひとは狂う。その瞬間を映画、南極料理人では垣間見ることができる。ラーメンを目にしたとき、ひとは歓喜する。その瞬間もまた映画のなかで発見できる。今日はなにも考えたくない日かもしれない。南極料理人のころ、堺雅人という俳優をよく知らなかった。氏が脚光を浴びることになるドラマ、半沢直樹はこの映画の数年後だとおもう。微笑みの貴公子は映画のなかでもたえず笑っている。こういう顔のひとが世の中にはたまにいる。見ていると、引きずられてこっちまで幸せになれるような。さて、食材整理をはじめよう。
posted by せつな at 06:09Comment(0)日記