6月11日 朝

こちら葛飾区亀有公園前派出所、略してこち亀を読んでいると、日々の悩みとか、憂いとか、つらさとか、苦しさとか、心配事とか、不満とか、わだかまりとか、鬱屈とか、もやもやとか、そういった感情が吹き飛ぶ。一言でいえば、ばかばかしくなる。無論、これは主人公である両津勘吉の破天荒ぶりによる効果であるが、それだけでなく、登場人物がことごとくぶっとんでいて、エピソードがとてつもなく豪胆で、日常の小さな綻びに慄いている場合ではない、そんな暇があったら常に新しい何かを見つけろ、と強く背中を押されている気になるからだ。新しい何かとは。その答えの集大成が2016年に発売された最終巻の200巻にある。こち亀が終わって、もう5年の歳月が流れたことになるが、たまたま手元に似たような分厚さのこち亀下町奮戦記という過去の作品をまとめた豪華版があり、奥付をみると、1988年初版とある。あとがきにこち亀がジャンプではじまり、連載13年目に入ったと記しているようにこの時点ですでに600数本の掲載数に上り、作者による気に入った作品の選品集なわけだが、この1988年初版本と200巻を見比べると、もっとも変わっているのは当然、時代性ということになる。なかでも目を惹くのが中川の乗るスーパーカーの変遷。昔の選品集のなかにオーソドックスなランボルギーニカウンタックが登場するのだけれど、最新刊ではランボルギーニチェンテナリオ(世界限定40台、価格約2億円)などが紹介されており、なんというか、5年前なのにひじょうに未来をかんじさせる。車はわかりやすい。まず、形が違う。価格が違う。馬力が違う。200巻の冒頭は「新世代の巻」と題し、電極プラスの小学校が出てくる。いろいろ最先端の技術が駆使されており、まさにハイパー小学生たちの学校なのだが、巻末を彩る最新のイーブイカーとプラスの説明に胸が高鳴る。この頃、自動車による、具体名を挙げると、プリウスによる痛ましい事故がたぶん多発していたとおもう。プリウスが目指したものを列挙すると、燃焼効率、乗り心地、環境配慮といったものに集約されるが、プラスの小学校が開発した車にそういった発想は薄い。プラスが強調するように「一切、車に触らないでほしい!ぼくは人より機械を信用してますので。自動の車だから自動車です」さらに開発担当の山田愛平和(ラブアンドピース)通称、ラブピーの言葉を借りれば「行政の言うことを聞いてたら何十年経ってもできません。すぐやらねば意味ない」もっと力説すると、中川のいう「機械が人を支える時代」はもう来ている。ジジイが運転する車は凶器であり、ジジイ自体が狂鬼であり、ジジイの正気は狂気だという実態を解消するにはもう自動運転しかない。しばらくこち亀200巻ネタが続く。
posted by せつな at 06:57Comment(0)日記