6月10日 朝
たまに食べたくなるものに王将の餃子というものがある。本当にたまに食べたくなるのだけれど、どういうときに欲するかというと、連日、30度を超える初夏の今時分とか、連日、40度に迫る真夏のさなかに食べたくなる。これは同じ特筆すべき餃子でも味の素餃子にはない特性であり、王将の店内でしか味わえない醍醐味といえる。すなわち、それは冷えた王将の瓶ビールに合わせるからであって、自宅で冷えた缶ビールを飲みながら、では、餃子の味に差がでる。冷房ががんがんに効いた店内で、コーテルイーガー、あるいはイーガーコーテルの王将独特の符丁を注文のたびに聞きながら、餃子をはふほふと頬張り、ギンギンのグラスビールを流し込む悦楽は自分にとって夏の感動のひとつといえる。ここ数年の風物詩でもある。いままでもっとも美味しかった王将の餃子&ビールはスーパー銭湯のあとに立ち寄った千里中央の王将だった。このときは生ビールをイッキ飲みしてから餃子に手を伸ばしたのだけれど、この世に天国があるとすれば、まさにこのときが天国の扉をノックした瞬間だった。陶然とするおいしさ。地下の狭い王将のさらにこじんまりとしたテーブルでいただくビールと餃子。アルコールの酔いが疲弊したからだを揺さぶるような。すすけた天井は宇宙だった。さしずめ、自分はその小宇宙のなかをただよう小惑星のような存在だった。逆にもっともおいしくなかったのは天六のビール&餃子だ。覚えているかぎり。さんざ、飲み食いして、締めの一歩手前ぐらいの感覚で立ち寄った王将。明るい店内に客層はファミリー中心。瓶ビールを頼み、餃子を2人前、注文した。当然、瓶ビールが先にやってきた。どうして、このとき、餃子とビールを一緒に持ってきてくださいといえなかったのか。忸怩たる思いはいつかのリベンジと拳を固めたのはそのずっとあとの話、というか、このときは失敗したとおもってはいなかった。ビールは冷えていた。ただ、すでに飲んでいたのでなんの感動もない。すするような感じ。餃子がやってくるまでに一本、飲みきってしまった。瓶ビールを追加注文するぐらいのタイミングで餃子が焼き上がった。おなかがいっぱいで餃子もおいしくなかったし、ビールはもう飲めなかった。と、このときのこの感覚ものちに振り返って気づいた不味さの理屈。最高のシチュエーションを想像すると、夏の昼下がり、スーパー銭湯の帰りに近所の王将に立ち寄るのがいい。風呂あがり、なにも水分を口にせず、ビールとキムチか枝豆あたりを先に持ってきてもらい、気長に餃子が焼き上がるのを待つ。スマホをいじるのが定番だが、冷房の効いた店内からじりじりした窓の外を眺めるのが最高だ。ああ、今年も餃子の夏がやってくる。王将の夏。餃子の夏。