6月9日 朝
6月9日はロックの日。ロック、ロックンロールという言葉を知ったのはたぶん小学生のころだとおもうが、当然、はっきりおぼえていない。はっきりとおぼえているのははじめて作詞した曲のタイトルが「勝手気ままなロックンロール」というもので、12歳のときに書いた。当時のノートを持っているので、見返すことは可能だが、見返したことはない。歌詞の内容はぜんぜん覚えていない。ぜんぜん、覚えていないのに恥ずかしいというか、てれくさいというか、ノートを引っ張り出す機会は今後も訪れないとおもう。ただ、勝手気ままなロックンロールという気絶するほど滑稽なタイトルは人生も重ね、何周もすると、かっこよくおもえてくるから不思議だ。人生は不思議の連続だ。もちろん、これは多分に個人的見解であって、ひとによっては大爆笑必至のタイトルかもしれないが、勝手気ままにロックをやる、無名有名、関係なく、上手い下手、関連なく、ひたすらにギターをかき鳴らし、気分はリンクレイ、歌うはピンクレディ、かますぜロッケンローと咆哮するさまを想像すると、悪くはない、気がする。曲のタイトルというのは無論、重要なアイテムであり、歌詞の内容よりも、むしろこちらに重きを置きたいシンガーやバンドは多いとおもう。タイトルはセンスだ。アホほどセンスだ。かっこいいタイトルを思い浮かべると、二つ三つはすぐに浮かぶ。かっこ悪いタイトルを論うと、それこそ星の数ほどあって、どれもこれもかっこ悪くおもえてしまうのだけれど、曲を聴いたり、歌詞を眺めたり、長い月日が流れたり、年齢を重ねたりすると、カッコ悪いとおもっていた自分がかっこ悪かったのだなと赤面してしまうことも多々あり、何が正しくて何が正しくないかとか、ロックンロールのまえではどうでもいいなという結論にだいたい至る。ロックしてるか、してないか。矢沢の永ちゃんが歌うように、基準はこれだけ。ロックで金持ちになりたいとか、ロックで有名になりたいとか、ヒロト氏が問うように、ロックが手段であってはいけない。ロックは目的そのものだ。ロックしてたらそれだけで幸せなのだ。勝手気ままなロックンロール。12歳で悟っていたのかもしれない。